7:Ten Rings to Rule the World

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Chapter 2

 そのころ、ヘリキャリアの司令室でスティーブたちはニックを囲んでいた。アベンジャーズだけでなくシールドの職員たちもいた。多くのものがニックに答えを欲しがって集まってきた。
「どういうことなんだ?」
 そう聞かれてもニック・ヒューリーにわかっていることも少なかった。
「言えることは少ない。とりあえず大統領令だ。徐文武に関して手出しできない。アイアンマンが暴れることもホワイトハウスは知っていた。だが大事にしたくないらしい。徐文武は本日をもって中国に帰る。そして今後アメリカにはけして入国しない。禁止命令がでている。罪状は知らん。ホワイトハウスの直々のご要望だ。徐文武は入国禁止、マスコミには発表しない。そしてあちらさんも、それを了承している」
「そのようには見えなかったが」
 負けを認めて去っていっただけだ。
「言われてもわからんよ。わかっていることは大統領の命令で、徐文武に関してもアイアンマンに関しても、手出しは無用ってことだ」
「つまりナターシャ・スタークにも、ってことか?」
 クリントが言ってからニックはスティーブを見た。ソーは肩をすくめた。
クリント・バートンは馬鹿じゃない。
「やっぱ、知ってたんだな」
「あぁ。あっちのメンツを除けば、俺とキャップは知ってた」
「ソーもだ。彼は最初から知っていた」
「聞いてないぞ」とヒューリー。
「言ってないんだろう」
 ソーはキャップの横で自分のハンマーで遊んでいるだけだった。ヒューリーが表情を歪めてもあまり気にならない。
「言って欲しかったな」
「嘘つきは好かん」
 ヒューリーの表情は変わらなかったが、その周囲の人間の気持ちは変わる。神は神。彼は神の目で見ている。スティーブ・ロジャースも彼の視点を買っている。
「ヒューリー。キミは他に隠していることはないか?」
「どういうことだ?」
「そのままの意味だよ。彼女は姿をくらましていた。そして急にあらわれて大統領令をひっさげて中国人を殴りかかった。正体をバレても気にもしないで、徐文武の手首を切り落とした。わけがわからない。だがキミは、なにかわたしたちに言っていない情報をもっているのではないかと聞いている」
ニック・ヒューリーは歴戦の勇士で、長年政治的にも暗躍してきたスパイだ。顔色を変えるような真似はしない。
「なにも知らん」
「なるほど。わかった」
そういってスティーブは部屋から出て行った。ソーもそれに続いた。司令室でキャロルあたりがなにか騒いでるだろうが、そんなことはどうでもいい。
「キャプテン!」
スティーブはケータイでメールを送りながら通路を歩いていた。目的地ははっきりしている。
「わかってる。彼はなにかを隠している。だが我々に言うつもりはないのだろう。無理矢理聞きだせる相手ではない」
アイアンマンはあきらかにおかしかった。
あんなに我をなくして戦う彼女をいままで見たことがない。
集中して戦う彼女は戦士のように迷いも躊躇もなかった。精神的に不安定なところがあるのをいつも危惧していたが、あのときのナターシャはアベンジャーズの名にふさわしい立派な戦士のように見えた。作戦のために下準備をして、冷静に動いて遂行する戦士。だが、目は戦士ではない。
「キャプテンがしっかりしないからだ」
ソーの言葉はいつだって真実を射抜く。
「だが、わたしは」
「言い訳はよくない。キャプテン、このままでは良くないと我はずっと言ってきた。いいことがひとつもないと。そのとおりになってきている」
 神はずっとスティーブに言ってきた。そして、その言葉をスティーブもずっと考えてきていた。
「正直自信がないんだ。精神的に追い詰められている女性を説得するのはわたしの分野ではない」
「我の分野でもない。だが、だれかがせねばならん。あの執事ではできない。あの副社長でも無理だ。運転手でも。スタークはスターク自身で立ち直らなければ意味がない。だれかの力を借りて立ち上がったところでまた呑むだけだ」
「わかってる。わたしの父親もアルコール依存症だった。彼らの詭弁には慣れてる」
 いつだって自分に言い訳をして呑む理由を探している連中。アルコールは弱い人間を優しく包み込む。
「だがそうもいってられんはずだ。このままだとスタークは死ぬぞ」
優しく包みながらゆっくり殺す。アルコールはひとを殺すのだ。
「わかっている。わたしの父親もそれで死んだんだ」
あんな想いは二度としたくない。そのためにまず行動する。
行ってやらなければならなかった。
スティーブとソーがふたりそろってアベンジャーズマンションの最上階、つまりスタークの私邸についた。そのときも燕尾服はまだ玄関に寄りかかって泣いていた。
「ジャーヴィスっ」
呼ばれた執事は泣き腫らした目でキャプテンアメリカに近寄った。
「あぁ、ロジャースさま。ソーさま。お願いです、お願いいたします」
「いったいなにが……」
「花を……わたしが花を処理しなかったと随分お怒りになられて……」
よくわからないが、酔っ払いのヒステリーは知ってる。
「ソー、頼む」
「うむ」
彼のハンマーが光ってゴロゴロと音をたてた。スティーブは星の模様の盾で執事をかばう。
「ほーれっ」
轟音をたててめりこんだ扉。機械音声がスピーカーから鳴った。
「警告します。即刻立ち去らないと攻勢の防御活動にはいります」
「言ってろ」
 神に関係あるはずもなかった。もういちど振り下ろして、叩き付けてやった。分厚い金属製の扉がひしゃげて倒れ込んでから、スティーブはさらに指示を送った。
「送電パネルがあるはずだ。セキュリティ対策をした玄関はかなりの電力を必要とするだろう」
「言われてもわからん」
「両方の壁をぶち抜け。コンクリートじゃないほうに、さらにお見舞いしてやれ」
「わかった」
 通路からアイアンマンの出来損ないのような防御ロボットがわらわら出てきたが、それは盾で一掃できる。狭い通路で戦うのは軌道やスピードを正しく計算できるスティーブの得意分野だ。そして力仕事はソーの分野でもある。
「もいっちょっ!」
 大きな音をたてて壁に穴があいたとき、電源が落ちて部屋が暗くなった。それからまたすぐ照明がついた。
「セキュリティのJARVISが復帰するのに少々時間がいるだろう。とりあえず」
「もう地球人のジャーヴィスが走っているぞ」
 だが彼が目指したリビングに彼女の姿はなかった。
「お嬢様」
 ぶち抜いた壁や天井の瓦礫が崩れる音とともに、水の音がしていた。そっちに走った。ジャーヴィスも続く。
「お嬢様っ」
 まず血の匂いがした。
シャワールームのナターシャは血まみれで。冷たい水を頭から浴びたまま、倒れ込んでいた。
「あぁっ、お嬢様!お嬢様」
「落ち着くんだ、ジャーヴィス。まずは救急を呼べ。出血がひどい」
「救急はダメですっ」
怪しむふたりにも執事は頑として譲らなかった。
「医者を呼ぶのはいけません。お嬢様は医者を嫌っています。ダメです。お医者さまはダメなんです」
「だがジャーヴィス」
「ダメなんですっ」
 シャワーのコックを閉じて、ソーはハンマーを地に打った。
ハンマーが杖になり、ソーはドナルド医師になる。彼の声は優しかった。
「キャプテン、とりあえず彼女をベッドに運んで。それから下の階に医務室があるから、そこから僕のカバンをもってきてほしい」
「了解した」
 スティーブはナターシャを抱きかかえる。驚くほど軽くて、冷たかった。
「体温がかなり下がっている」
「ジャーヴィス、ベッドルームは」
「こちらでございます」
 急いでそちらに向かう。抱いて走っているだけで、血がだらだらとこぼれる。そのぶんスティーブのなかにあるなにかもこぼれて床に落ちていくような気がした。いままで抱えていたものが床に散らされていくようだった。
 大富豪ナターシャ・スタークのベッドルームは半円状の窓の存在感が大きかった。シルクの天蓋をかぶせたキングサイズのベッド。低いチェストと本棚。オフホワイトで統一された品のいい部屋であるはずなのに、床には下品な色のプラスチック製の玩具が散らばっていた。
見ないふりしてベッドに降ろしてからスティーブは階下に向かう。ドナルドは身体を拭いて髪を拭いた。
「室温を上げられるものがありますか?」
「ラボのほうにヒーターが。持って参ります」
「お願いします」
 スティーブはすぐ戻ってきて点滴の準備を整えた。
「慣れてるんですね」
「戦場ではいつも医師がいるとは限らない」
「なるほど」
 針を刺すのも慣れたものだった。増血剤も投与して、ジャーヴィスが持ってきたヒーターを付けた。そのタイミングでセキュリティも復帰したようだ。
「退去してください。Mr.ジャーヴィスは執事権限を失効しました。屋敷から立ち去ることを勧告します」
 苦い表情をしているジャーヴィスとドナルドと違って、スティーブは落ち着いたものだ。
「JARVIS。JARVIS。ここを見て欲しい。いまキミの主人はどういった状態か、キミにもわかるだろう」
「失血による意識不明状態です」
「そうだ。いま我々がここから去ったら、だれが彼女を治療するんだ」
「わたしがします」
「できるか?こんなことになるまで放置していたのはキミだ。キミがいていながら、こうなってしまった。そもそも、ジャーヴィスに解雇を申しだしたときの彼女の精神状態を覚えているだろう?どうだった」
「興奮状態でした」
「だろう?キミがジャーヴィスを追い出さなければ、こうはならなかった。キミは優秀な人工知能だが、それだけだ。キミの仕事はナターシャを守ることだろう?だが、こうなったんだ。興奮状態の命令を素直にきいてしまったからだ。治療が終わってから改めて聞いてみたまえ」
「わたしに命令する権利をあなたは有していません」
「キミに任せていたら、我々は彼女を失ってしまうかもしれない。それで困るのは我々だけではない。キミもだろう」
「提案ということですね」
「そうだな。彼女の意識が戻るまでドナルド先生に任せてもらえないだろうか」
「目覚めてからも命令が行使されれば、退去していただきます」
「約束しよう。エントランスを破壊してしまった。直しておいてくれるか?」
「もう、とりかかっています」
「さすがだな、ありがとう」
 ジャーヴィスが頭を下げたが、スティーブは首をふった。
「目が覚めてからだ」
「人工知能を丸め込めるなんて普通は無理ですよ」
「感情で説得するより理論で説得できるもののほうが簡単だ。利害も一致している。人工知能は命令だけを遵守する機械ではない。正しい選択のために情報を収集していきたがる傾向があると、彼女の論文で読んだ」
「ナターシャの論文を読んだんですか?」
「ずっと寝てたんでね」
 ドナルドは感心したように大きく息を吐いてナターシャの身体をさすった。体温を上げるためだ。ジャーヴィスもスティーブも、それに倣った。ジャーヴィスのほろほろした涙に気持ちが沈む。腕にいくつもの切り傷があった。手首と上腕部。自殺をするには位置が珍しい。スティーブは切り傷のあとを見て、また大きく息を吐いた。
「お嬢様、お嬢様……。いったいなにが……」
「……」
ジャーヴィスに知るよしもない。俯くスティーブをドナルド・ブレイクは見ていた。彼のなかには雷神がいる。
「キャプテン」
 そう言っただけだ。ジャーヴィスは顔をあげて、ナターシャを挟んで反対側にいるスティーブ・ロジャースを見た。難しい顔をしている英雄の表情を見てジャーヴィスも気付く。
「なにかご存知なのですか?」
「知ってるわけじゃない。ただの推測だ」
 ドナルドを見る。話しをふってくれるなと目で言うが、医者は曖昧な表情を見せるばかり。
「推測でもなんでも構いません!なにかご存知なのでしたらっ」
「あまり大きな声をださないで」
そう言われてジャーヴィスはさらに小さく肩を揺らす。
「お願いです……お願いいたします……」
医師も英雄を見た。
「彼女がこんなことをしたのはジャーヴィスを遠ざけたかったんだと思う。彼女から言わせるのはとても残酷なことだと思う」
「だが、確証があるわけじゃない」
「確実な証拠を彼女につきつけるのも、とても残酷なことだ。ジャーヴィスはこれからも彼女の側にいるんだ。知らないままでは、とても辛い」
ドナルド・ブレイクのなかにはソーがいる。全能の父が彼をどのように作ったのか。わかっていないことも多かったが彼の言葉はソーと同じく正しいと感じられるものだった。さっき怒られたのが堪えていたかも知れない。
腹をくくる。
「これはただのわたしの推測だ。間違っているのかもしれない」そういってケータイを見た。ブラックウィドウからの返信だった。推測の裏打ちがどんどん固まっていく。
「ロジャースさま……」
「昨日の朝、ナターシャはヘリキャリアに行っていた。確認してもらった。司令室に入っていったようなのでヒューリーに会っていたのだろう。ずいぶんとお固い衣装だったと言ってる」
「そうですね。出勤されたときのスーツはずいぶんとぴっちりしたもので、教会か裁判所に行くのかと思いました」
「2~30分司令室にいて、それから帰ったらしい。どこに行ったのかはわからないと。だが、あの中国人の国外退去処分が大統領令で出るんだ。DCに行ったのだろう」
「ホワイトハウスですか?なぜ……」
スティーブはナターシャの細い腕をさすった。なるたけ体温がはやく戻るように。ガーゼの奥の出血がはやくとまるように。
「これはわたしの推測だ。間違っているのかもしれない。だが昔からおかしいと思っていた。S.H.I.E.L.Dは世界的な諜報機関のはずだ。それなのにどうして、ナターシャが拉致されたときなにもしなかったのか。どうして半年も放置していたんだ。優秀な人材を揃えているはずなのに、前身組織の立役者でもあったハワードの孫娘の救出に注力しなかったのはなんなのだ。若い女性が中東で拉致されてまともに扱われるわけがない。ましてや兵器開発者だった。武器を作らされているのはわかっていたはずだ。なぜ、指をくわえて待っていたのか意味がわからなかった」
「……」
 ジャーヴィスもドナルドも、なにも言わなかった。スティーブだって、こんな話しをしたいわけじゃない。
「ただわたしは軍人だ。救出作戦がとても難しいことを知ってる。結果としてなにも出来なかったように見えるだけで、彼らも手をこまねいているわけではなく情報を集めていたのではないだろうかと思っていた。世界的な諜報機関だ。S.H.I.E.L.Dには彼女の苦しかったころの、洞窟での出来事をつかんでいたのではないのかと、思ったんだ」
「あぁっ」
 ジャーヴィスは顔をおおって、その肩をドナルドは支えた。執事は知っている。
「あの男はそれを持っています。この屋敷に唐突に現れて、動画があるのだから従えと……」
 もうずいぶん昔の話のように思える。まだスティーブが眠っているころのことだ。アイアンマンをはじめたばかりでソーだけが頼りだったころだ。
「なんてことを……」
 自分たちになにも言わないはずだと、スティーブも眉間を歪ませた。政治的な判断には一目置いてる。だがナターシャにはいつも辛く当たることが多かった。タバコの匂いを嫌っているのはだれが見てもわかるのに、彼女の前で必ず葉巻をしがんでいる。
「だが……。なら、わたしの推測はあたっているのかもしれない。彼女はヒューリーのところに行った。動画を確認して……」ジャーヴィスの目を見て大きく息を吸った。聞かしたくはないが、彼は知っておいたほうがいい。「自分をアフガニスタンで拉致したのは徐文武だという証拠を揃えた」
 ジャーヴィスの青い目が大きく見開く。どれだけショックなことか考えるまでもない。こんな真似をナターシャにさせなくてよかったのだと言い聞かせた。
「ホワイトハウスにいったのは逮捕していいのかどうかが彼女にも判別できなかったのだろう。あの男は中国政府に大きなパイプを持っているという話だ。いまのアメリカ国債をいちばん多く保有しているのは中国だ。証券取引は外交に通じる。警察やマスコミに通報してコトを大きくしていいのか、わからなかった。だから、ホワイトハウスにいった」
「お嬢様は……」
「勝手に騒動を大きくして、精神疾患患者の妄想だと打ち捨てられるわけにはいかない。自覚があったのだろう。たとえ証拠があっても裁判所で採用されるとは限らない。公表することはS.H.I.E.L.Dにも不利益だ。なぜ、持っていたという話しになる」
「だからナターシャは刑事裁判にできるものなのかどうなのか、議会に持ちかけたということか」
「そう考えると理屈があう。中国政府に大きなパイプをもつという彼を国外退去処分するには相当の覚悟がいるはずだ。いまの大統領はイラクで大失敗した。取り返そうと中国と戦争をちらつかせたら他の国だって黙ってない。もみ消されなかったのは、彼女が交渉したのだろう。ヒステリーを起こすことなく、テロ組織との背後関係を提示したんだろう。彼女は自分を襲った人間を野放しにする人間ではない。ハマーのマフィアへの送金を凍結させたりするからな」
「昨日の朝から、お嬢様は……」
 ホワイトハウスで官僚たちに徐文武の危険性を提示していた。たったひとりで。信じてもらうために、普段着慣れないスーツを着込んでヒューリーにも頭を下げたのだろう。
「だけど、なんで気付いたんだろう?」
「この傷跡だ。すべて腕に集中している。上腕と手首だ。文武に掴まれ指輪の跡がついたのだろう。それを見て気付いた」
「だから手首を落とした」
「動かぬ証拠だ。彼の指輪と彼の手首。右手を落としたのも、偶然じゃない。利き腕で跡と照合するのだろう。ヒューリーのところに画像があるなら照合させるまでもないんだろうが」
 きっと彼女のケータイに証拠が揃っているのだろうが、覗く気にはなれない。スティーブがまた大きな息を吐いた。次の瞬間にジャーヴィスが立ち上がって花を倒した。
「うぁああぁぁっ」
 執事の悲痛な叫び声が部屋に響いた。スティーブも顔をおおう。
「言ってくれれば」
 手伝えることもあったはずだ。あの男の最後の言葉が蘇る。「わたしを助けてくれて、ありがとう。キャプテンアメリカ」彼はそういった。見たことない下品な笑い方でしたたりおちる手首からの血も気にせずにそういって去っていった。ニュースを見れば「中国の大富豪が怪我の治療のために緊急帰国」というニュースをやっている。投資家たちも不審に思うことがなく、証券会社が荒れることもない。ホワイトハウスの策がはまっている証拠だ。
 だが、彼女はこの有り様だし執事は涙がとまらなかった。
大切なお嬢様を幸せにしてくれると思った男が、お嬢様を地獄に叩き落とした悪魔なのだと知って、無責任に囃し立てた自分を責めている。
 花の処理をドナルドも手伝った。すべて抱えてJARVISに処理するように頼んでから、人間のほうのジャーヴィスの肩をつかんだ。
「なにか身体を温める飲み物を用意できますか?起きたら、食べさせたほうがいい」
「そうですね」
 よろよろと立ち上がってキッチンに向かう執事。待っているよりなにかさせたほうがいいという医師の判断。
「見てくる。彼も限界だ」
 向きあわせたほうがいいという神の判断。
「了解した」
 ふたりだけになると責任感が襲い掛かってくる。彼女をここまで追い詰める結果になってしまったことがのしかかってくる。ちゃんと向き合っていれば、あの男とひとりで対峙させることなんてなかった。髪を拭って肩をさすった。体温が戻るように、彼女が戻ってくるように。キッチンでドナルドが声をかけたのだろう。ジャーヴィスの悲痛な声がベッドルームにまで響いた。それも自分のせいだと、スティーブは強く目をとじた。
 ソーの言葉がなんども蘇った。
「キャプテンがしっかりしないからだ」
 自分の仕事はなんなのか、自分の名前はなんなのか。なんのために帰ってきたのか。胸が締め付けられるような時間だった。
気がつけば外は暗く、窓からは夜景が見えた。照明もつけていないベッドルームで目をあけた。
「起きたか」
 自分の手をつかんでいる大きな手をはらう。思いもかけない客人への苛立ちを隠そうともしない。
「なにかよう?」
 その目があの男を見るものと同じだ。息苦しい。
「用というのは別段ない」
「なら帰って、さっさと出てって」
 上半身を起こそうとして身体中の痛みが帰ってきたのだろう。歯を食いしばる姿が痛々しい。
「もう少しやすんだほうがいい。出血はとまったが傷がふさがったわけではない」
「平気よ」
そう言うのはわかっていた。
「なら、ジャーヴィスに謝りたまえ。彼はずいぶん傷付いてる」
「あなたに関係ない」
「関係がなくても正しいかどうかはわかる。キミの不用意な発言が彼を傷つけた。彼に謝ったほうがいい」
「なによそれ……」
 ばさばさになった髪の向こうに敵意しか感じ取れない瞳がある。だれのことも信用できない瞳が星条旗の男を睨みつける。
「あなた、知ってるのね」
「それだけではなにに対してなのかわからんな」
 そうはいったものの、互いの目を見ていればわかる。
知っていることも、勘付いてることを知られていることもわかる。互いにそこまで馬鹿ではない。ナターシャは痛む腕で顔を覆う。
「ジャーヴィスに……」
「マスターナターシャ。命令をどうぞ」
「あんたじゃないわよ!黙ってなさいっ」
 機械はヒステリーを理解する。命令されるまで玄関の修復にだけ注力する。そしてスティーブは息を吐く。
「キミの口から言わせるべきではないと思った」
 反射的な行動だった。
腕をあげて、平手打ちをかました。キャプテンアメリカをひっぱたいてやった。避けることも可能だが受け入れるしかなかった。
「余計なことしないでっ!関係ないでしょう」
「そうだな」関係ない。それが問題だ。「わたしはキミの個人的な問題に看過する立場ではない。立ち入るべきではない」
「そうよ!勝手なことしないでっ」
「それを悔やんでいる。キミひとりに辛い問題を負わせてしまったことを後悔している」
「あなたになんの関係があるっていうのよ!」
 関係ない。それはわかっている。
「我々はチームだ。キミを助けたい。キミを苦しませたくない」
 もういちどひっぱたく音がした。さっきより高かったかもしれない。鋭い痛みがスティーブの口の中にも響いた。
「あなたはなにもわかってない」彼女の青い瞳にはまだ底のない敵意しかなかった。
「ナターシャ……」
「助けたいなんて簡単に言わないで。あなたはなにもわかってない。施しなんていらないわ、暇なときに顔をみせて食事してるのを見て満足してイイ気分で寝たいだけでしょ」
 そんなつもりはない。伸ばした手を振り払われた。熱い瞳で射殺される。
「あなたはなにもわかってない。適当なこと言って、そりゃあ気分いいでしょうよ。でもそんなものに巻き込まれる身になってちょうだい。街でならず者が暴れてるのを止めるのとはわけが違う。あたしを助けたいなんて、出来もしないこと言わないで。無責任なことを口にしないで!あたしをいまここでFUCKするか、クビでも締めて殺してくれたほうがマシよ!」
 なにを言い出すんだと手をのばす。その手だって取ってはくれない。
「人を助けるのが簡単なことだとでも思ってるんでしょう?そんなわけないじゃない。あなたが眠っていようと、シャロンとSEXしてようと仕事していようと、なにしていようと女のヒステリーに付き合わされるような生活をできるとでも思ってる?ふざけないで!」
 もういちどひっぱたかれた。1日でこんなに女性に殴られたことはなかった。それを受け入れる。受け入れてから、目を見て話す。
「だからこそ、ジャーヴィスに謝るんだ」
 瞳の敵意が一気に消失した。それがわかる。彼女にとってエドウィン・ジャーヴィスはそれだけ大事なのだ。
「ジャーヴィスは」
「彼はキミのことを守ってきた。いままでだって、これからだって、キミの大切な家族のはずだ。キミのことをだれよりも大切に思っている人間なんだぞ。その彼をキミが傷つけたんだ。ジャーヴィスに謝って、彼を安心させるんだ」
 部屋にいないのなら、リビングのほうにいるのだろう。花もない。腕には包帯。ナターシャは自分の意識がないあいだのことを考えられる程度には回復していた。
「ジャーヴィスに、なにを言ったの」
「わたしが推測した話しだ。間違っているかもしれない」
「あなたがそこまで馬鹿だと思ってない」観念したように大きな息をはいた。「あなたに仕事をあげるわ。そこのガウンをとって」
 チェストにかけられた赤いシルクのガウンを手渡した。ありがとうと言って、それを羽織って立ち上がった。腕の傷が痛々しいが、そこにたしかに市場を支配してきた女社長がいた。まぶしいまでのナターシャ・スタークは瞳にまた敵意を蘇らせていた。
「もう出て行って」
 そういってキッチンに向かっていった。ジャーヴィスの姿を確かめて「酷い態度をとって悪かった。クビは取り消す」とだけいって、またベッドルームに戻っていった。
 ジャーヴィスの震える小さな肩をドナルド・ブレイクは支えていた。
スティーブは「もっとうまくやれなかったのか?」とソーに言われてる気がした。

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