7:Ten Rings to Rule the World

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Chapter 3

 次の日の朝。ジャーヴィスは言った。
「お休みなさいますか?」
「2日も休んだのよ。そんなわけいかない」
 ナターシャは出勤した。コーヒーとオーガニックのクッキーを1枚つまんだだけで、行ってしまった。
 スタークインダストリアルは大きな取引のせいで大騒ぎだった。騒ぎに乗じてポッツはナターシャに近付いてきた。
「大丈夫なの?」
「なにが?」
 長い付き合いのポッツでも見たことのないような視線。驚いたものの、長年ビジネスの世界を生きてきた女性だ。目つき程度で怖がることはない。ましてやナターシャのことをカレッジのころから知っている。
「疲れてるなら休んでいいわ」
「ジャーヴィスから聞いたの?」
 経験のない若造なら怯えるような冷淡な瞳。青い冷たい炎が周囲を威圧する。
「あなたを心配してるのよ」
「でしょうね。ありがとう、でも大丈夫」
 よくない兆候だと思ったが、この大きな取引を失敗するわけにも行かずジャーヴィスにメールするしかなかった。
 女社長が自宅に帰ってきたのは夜更け。
「これからは先に寝て。いちいち待たなくていい」
「そういうわけにも参りません」
「命令よ。起きて待たれても迷惑だわ。仕事が終わったらさっさと下がってちょうだい」
「わたしの仕事はお嬢様のお世話をすることです」
「あたしがしなくていいってことまでしなくていい」
 ビールだけ呑んで立ち上がる。
「お食事なさいませんか?」
「いらない」
 そのままラボにこもってしまった。あの指輪に関することなのだろう。サンドイッチを作ってラボに入ったが振り向いてもくれなかった。
「なにかご入り用のものがありますか?」
「なにもない」
そういってやはり顔を見せてくれなかった。よくない方向にいっていても執事にはなにも出来ない。リビングでスープを温めて朝になるのを見ていた。
ラボから出てきたナターシャはそのままクローゼットに向かって、スーツを変えてリビングで熱いコーヒーを呑んだ。
「なにか口にしませんか?お嬢様」
「なにもいらないわ。昨晩言ったことを覚えてる?」
「はい」
「ならいい」
行ってしまう。ラボに皿を取りに行ったがサンドイッチには手をつけてもいなかった。ジャーヴィスの涙が床を濡らすだけだった。

 

 その日。スティーブ・ロジャースも気落ちしていた。
ソーに叱られなくても自分が失敗したことぐらいはわかっていた。もっとうまくやるべきだった。ソーならもっとうまくやったかもしれないが、あのときはドンの力が必要だった。
 アベンジャーズマンションに来てほしいと言われたとき、最初に浮かんだのはソーの不機嫌そうな表情だった。
 そしてそのとおりだった。
マンションにはアベンジャーズだけでなく能力者たちがそろっていたが、最初に見たのはソーだ。眉間に深い皺があった。気が滅入る。
「遅かったわね、キャップ。聞いたわ、アイアンマンの正体」
 小さなワスプが飛んできて叫んだ。
彼女がアーマーのなかから飛び出したのがずいぶん前のことのように思えた。クリントたちにしてみれば随分と驚いたことだろう。ヒューリーはともかくキャップやソーまで知っていたことが大層腹に据えかねているらしい。
「言って欲しかったわ、キャップ」
「すまない」
 他にもだれかがなにか言ってるが、スティーブの耳にはいってくるものはなかった。彼女の目が忘れられなかった。だれのことも信用しないと拒絶している瞳。深い絶望と暗闇だけを見ると決めた瞳。
 あんな目をさせるべきではなかった。
「聞いてる?キャップ」
「あぁ」
 ワスプやキャロルがいろいろなことを言っていたが聞いてなかった。スティーブの横にソーが立った。
「顔色が悪い」
「いい理由がない」
「それもそうだな」
 ソーがなにか言おうとした次の瞬間に扉がひらいて、いい香りがした。
「ジャーヴィス」
 ワスプが近付いても執事はぴくりとも表情を動かさずワゴンの料理を差し出した。
「皆さまで、よろしければ」
「わぁ、美味しそうっ」
 一礼だけして去ろうとするジャーヴィスにクリントが声をかけた。
「お嬢様の食べ残しってことか?」
「食べていませんから、ご安心を」
 ジャーヴィスの目もまた暗かった。深い闇に疲れきったくたびれた目だった。スティーブは自分を責め、ソーは不愉快な表情をしていた。
「また食ってないのか」
「はい」
 ソーの不機嫌はますますふくらんだ。
「しょうのない奴だ」
「くそー、うめぇな」
「なに食べてんのよっ」
ジャーヴィスは再度一礼して去ろうとしたが、また扉が開いた。大勢いて驚いたようだ。
「勢揃いね」
そういってナターシャが部屋にはいってきた。
ひと目で高値だとわかる黄色いスーツで颯爽とやってきたが、その目が相変わらず鋭くてスティーブはそれだけで苦しくなった。
「お嬢様、お帰りとは気付きませんで、申し訳ございません」
「帰ってきたわけじゃないわ。すぐ会社に戻るの。これ、渡しに来ただけ」
そういってスティーブの目の前のテーブルに大きな荷物を落とした。鈍い音がホールに気付いた。独特の音で気付くものは気付いた。なかにはいっているのは星の模様の盾とコスチューム。
なにも言わないスティーブを一瞥する青い瞳。彼女はまばたきひとつしなかった。
「なにを言ったのか知らないけど、今日うちに下院議員委員長が来たのよ。返却を申し出されたけど合衆国の財産ではないからこれを受理するわけにはいかないんですって。これはあなたのもので、あなたが持つにふさわしいものですってよ。じゃあ、渡したからね」
そのまま背中を向ける。返事を聞く気もさらさらない。ジャーヴィスにだけ声をかける。
「今日も遅いからさきに休んでいて」
「しかし、お嬢様」
「伝えたからね」
 そのまま去ろうとするナターシャにイライラしているものがいた。
「大事な大事な会社だものね」
無視してもいいはずなのに振り返ってキャロルの顔を見てやったのはやるせない怒りだ。
「なにが言いたいの?」
なんだよ!と目で問いかけるクリントにキャロルは振り払った。
「ニュースを見なさい。全州の庁舎の非常用発電装置をスターク社が負うことになったのよ。大統領が安価で新しい技術を採用するべきだと異例のコメントをだして即決定らしいじゃない。良かったわね」
口角を片方あげてやった。鋭い瞳のまま促してやった。
「信じられないわ。自分をレイプした男を起訴せずに、政府のいうまま国外退去処分にして仕事をとってくるなんてね。よくそんなことできるものね」
 イモータスにレイプされ、そのイモータス自身を身ごもり出産し情がうつってアベンジャーズと戦うことになったキャロルには信じがたい話しだ。そして、それ以外の能力者にも納得しにくい話しだった。知ってるものは眉をひそめ、知らないものは驚いた。
 ナターシャは顔色ひとつかえなかった。
「だれから聞いたの?」
 それだけ聞いた。その声もひとつも震えていなかった。瞳の強さも部屋にはいったときからなにも変わっていなかった。その強さに他のものが気後れするほどだ。
「ニックよ。彼を問いただしたの。あなたの様子をクリントたちから聞いていたし、考えればわかるでしょ」
 ナターシャはジャーヴィスが持ってきたワゴンのなかからパンにつけるオリーブをひとつだけ掴んで、口にいれた。
「なるほどね」
 それだけ言ってまたドアに向かった。キャロルが叫んだ。
「なにか言ったらどうなのよ!」
 オリーブの芯を床に吐き出してからナターシャは振り向いて笑った。市場を支配する女王陛下の無慈悲な笑い方。
「あなたが馬鹿だってわかれば、あたしにはそれで充分」
 屈辱で顔を赤くなっても関係ない。女王陛下は髪ひとつ乱さなかった。ソーが怒っていた。怒って止まらなかった。
「待てっ!スタークっ」
 ソーに言われてふりかえったときは、すこしだけ表情が揺れた。つい後退りもしてしまっていた。彼女もソーにはかなわない。
「そのような言い方をするな!皆はお前を心配してるのだ」
「はっ!神さまはなにいってるの?そこの連中があたしのことを心配してるわけないでしょ。いま聞いたでしょ?クソがやっぱりクソだったって言いたいだけよ」
「そのような言い方をするな!みなはお前を心配している。お前がいまどれだけ辛い立場に追いやられているのか、みな知ってる」
「そうかしら?そんなふうには見えないわね。あなただって、なんのことだか全然理解ってないんでしょ」
 神に為替の話しはわからなかった。不機嫌が膨らんでいくのがわかった。スティーブはつい立ち上がった。
「我らは仲間だ!助け合えることができるはずだ」
「仲間ってなによ!じゃあ、あなたになにが出来たのよ!偉そうに上から雷落としてるだけじゃないっ!」
 止めなくては、と思った。だが神の行動は俊敏だ。間に合わなかった。
「お嬢様っ!」
 ジャーヴィスの叫び声と横っ飛びにふっ飛ばされる大富豪。彼女のもとには執事が駆け寄り、スティーブはソーの腕を止めた。
「ソー、やめてくれ!ソーっ」
「なぜだっ!なぜ我がやめねばならぬ」
 ジャーヴィスが駆け寄っても大富豪はなにも言わなかった。立ち上がってワゴンに乗せているワインのボトルをとって頬に当てた。
「お嬢様!大丈夫ですか」
きんきんに冷えたボトルを当てて髪をふりはらう姿でさえ、その場のだれより高値に見える。投げられても関係ない。ナターシャは生まれながらの女王陛下。
「これがあなたのいう仲間の助けだというなら、そんなもの欲しいと思ったこともない」
 ボトルを床に叩きつけた。ワゴンのうえのニシンのパイを手で掴んで投げつけた。
「食べ物も寝る場所も、欲しいだけくれてやる。だから、あたしに偉そうな顔するな」
「偉そうとはなんだ!お前が間違っていることをしているからだ!」
「殴り飛ばして適当な推論を聞かせるのが正しいことだとは知らなかったわ。神様はずいぶんと勝手なものね」
 去っていく背中を執事は追いかけるので精一杯だった。
ソーもスティーブにつかまれた腕を払って、不機嫌そうに去っていく。その背中を見ていることしか出来なかった。
「ねぇ、キャップ」
 なにか知ってるのなら教えてほしいという仲間たちにもスティーブも背中を向けることしかできなかった。盾を持って来られても見たくもなかった。
バイクにのって気付けば、そこにいた。
「あら、今日も?」
「あぁ」
 現代でも信用できるのは彼女だけだ。ペギーの笑顔だけが慰めになる。
「キミに泣き言をいってもいいか?」
「他に聞いてくれるひといないの?」
「シャロンと別れた」
「らしいわね。つい感情的になってしまったって。後悔してるって言ってたわ」
「そうか」
 彼女にはそういうところがある。衝動的な行動をやってしまう。自分を律することができないのなら諜報員など辞めたほうがいい。向いてない。
老獪な元女スパイのまっすぐな瞳に少しだけ気後れする。だが、泣き言を言いたい。
「キャプテンアメリカを辞退したいとホワイトハウスに言ってきた」
「は?」
激しく叱責されると思ったがペギー・カーターは年寄りだ。そんなに体力を使うことよりも、お茶を一口のんだ。
「意味がわからないわ。最初から話して」
「あぁ」
 スティーブはなにもかも話した。
ナターシャ・スタークがアイアンマンだったこと。それを隠していたこと。中国のビジネスマンの優しさと、その裏の仮面。執事の涙。そして政府の取引。
すべてを話したら、すこしだけ気が楽になった。話せる人間がいるというのは救いだ。カウンセラーというシステムもあながち馬鹿にできない。
 ペギーは顔色を変えずにお茶を飲みながら聞いていた。
「スティーブ。あなたももう知ってるはずよ。政府というのは正しいことをするための組織じゃない。国民の利益を守るのが仕事。彼女を傷つけた男を国外退去させて終わらせた政府に失望したのもわかる。それでも、あなたはキャプテンアメリカを辞めてはいけない」
「わたしは無力だ」
 神ではないしミュータントでもない。魔法もわからない。現代のこともわからない。
「それでも諦めてはダメよ。立ち上がるの」
「スカルをこのままにはしておけない。戦うことを放棄したいわけじゃない。ただ、とても心苦しい」
「あなたのせいじゃない」
「わかってる。だがわたしに出来たこともあったのではないかと……」
「あったかも知れない。でも出来なかった。それとあなたがキャプテンを辞めることは繋がらない」
「……」
 かつて星条旗は希望の象徴だった。自由と希望の星だった。それがいまはまったく別の意味を持っている。海をこえた向こうで火にかけられる星の旗。あそこまで憎まれる覚えはスティーブにはない。
 だがそれを無視できるような男でもなかった。
「あなたがキャプテンアメリカを辞めたところで彼女は救われるの?」
「関係ないだろうな」
 ナターシャ・スタークがそこまでスティーブの衣装に意味を見出しているとは思えない。
「ただの自己満足なら意味ないわ」
「キミは厳しい」
 知っていたが、はっきり言われるとますます心苦しい。
「あなたはなにがしたいの。彼女になにも出来なかった自分を責めてるつもり?彼女を救いたいのなら衣装なんて関係ないはずよ、スティーブ」
「うむ」
 ペギーの言うことはまっすぐな正論で反論を許さない真っ当な意見だ。母と同じだ。自分に立ち上がることを教えてくれる。
「さぁ泣き言はお終いよスティーブ。立ち上がりなさい。こんな、お婆ちゃんに構ってる時間はないはず。あなたがなすべきことは立ち上がること。その気味の悪い中国人がテロ組織の首謀者なら、国外退去させて終わるわけじゃないことぐらいわかるでしょう。あなたがアイアンマンやソーと手を組んでるように、スカルがその中国人を使えると感付いたら厄介よ。彼はいつだって自分の手駒を探している。ぼやぼやしている時間はない」
 ペギーの言葉は強い。
自分を甘やかさない、だがけして突き放しているわけではない。自分を信じている瞳だ。できるはずだと強い瞳で訴えてくる。立ち上がれといってくる。
 その瞳に逆らえない。
「彼女はわたしを救ってくれた。わたしの孤独に手を差し伸べてくれた。こんどはわたしの番だ。彼女を助けたい。彼女を苦しめるものをそのままにはしておけない」
「そうよ。テロ組織なんか放ったらかしに出来ないわ。奴らにだって縄張りがある。スカルは馬鹿じゃない。その中国人のことをあたしたちより詳しくわかっている可能性があるわ」
 自分たちだけが情報を手にしていると考えるのはバカなことだ。
自分の知っていることと、自分の知らないことをわかっておくのは重要だ。若い連中はインターネットのせいで、簡単になんでもわかったつもりでいるが、そんなものじゃないとスティーブとペギーにはわかっていた。年寄りは戦う相手がサンドバッグじゃないことを知っている。
「あの中国人、マンダリンの狙いはなんだ?スカルは、それを利用できると考えるのか?あいつのやりたいことは世界を作り変えることだ」
「あたしたちが知っていることは少ない、スティーブ。ナターシャ・スタークは中国人の狙いを知っているかも知れない。聞いたほうがいい。ロキみたいに面白がって引っ掻き回す子供に目を付けられたらさらに厄介だわ。最悪のことを考えて行動して」
 悪巧みを放置できない。連中の好きにはさせない。正しいことをしなくてはならない。
「立ち止まることは許されない」
「そう。あなたは市民の盾。立ち上がるの、あきらめずに立ち上がるの」
母もいった言葉。
母が残した言葉。母と似た瞳で自分を見る。
「キミにはかなわない」
「知ってるわ。でも、それももう終わりよ」
 自然と眉間に力が入る。90過ぎのお婆ちゃんは柔和な笑顔で追い詰める。
「お婆ちゃんに泣き言をいうのはこれで最後よ。あなたは現代に生きるの。いつまでもあたしなんかに構ってちゃダメ。未来を見なさい。あなたは2次大戦の英雄だった。現代でも、そうあらなければならない」
「キミの知識と経験は必要なものだ」
現代で生きるスティーブの灯りだ。だれの言葉も届かないところに光を照らしてくれる。ペギー・カーターが生きていてくれたから出来たことも多い。彼女との時間がスティーブにとっての安らぎだった。
「でも、いつかお終いにしなくちゃいけないのよ、スティーブ。大丈夫。あなたはひとりじゃない」
扉がひらいた。
 ここまで来るのは珍しかった。
「ファルコン……」
「たぶん、ここなんだろうと思ってさ」
そういって盾を渡してきた。見たくもなかったが、逃げ続けることもできない。
「……」
見ていることしか出来ない老いた男に若い男が言った。
「あんたは政府のために戦うんじゃねぇだろう。あんたがその盾にこめた思いは、そんなもんじゃねぇだろ」
「……」
スティーブ・ロジャースが求めるものは、昔からなにも変わっていない。
自由のためだ。人間の尊厳を守るためだ。
「俺は昔、あんたのことを政府の犬だと思ってた。だがそうじゃないってわかった。そのためにも、あんたはそれを着てなきゃいけねぇんだ」
「わたしはどこの国のものでもないものになりたかった。戦いから目を背けるわけじゃない。ただ理想のために戦うのだと決めた。アメリカのためじゃない。理想のために殉したいと……」
放浪者。ノマドな兵士として自由を求めるつもりだった。
「だが、あんたが持ちえた理想はこの国の建国理念だった。いまは、この国ですら見失っているものをあんたは背中で見せ続けるんだろう?」
ペギーの手がスティーブの手をにぎった。
「立ち上がるの。あなたが立ち止まっているあいだにも敵は前進を続けるの。さぁ」
ペギーを抱きしめた。
せめて最後に強く抱きしめた。愛している、愛していたと告げた。彼女はわかってる、わかっていたと応えた。
互いに笑って別れを告げた。
 ペギーは、「大丈夫、あなたはひとりじゃない」と言った。「最初からわかっていたわ。あなたは昔から変わってないもの」とも言って笑ってくれた。
「キミにはかなわない」
 その印象はスティーブ・ロジャースのなかで永遠のものだった。

 

 なにごとにも準備というのが必要だとスティーブは考えている。
これも準備が必要だ。
そのためには情報が必要だ。情報がいる。だが手持ちのカードは少ない。まずは手札をそろえなくてはならない。最初に手をつけたのは執事だった。
 まずは彼に話を通すべきだ。ナターシャ・スタークのいちばん近くにいる男に告げる必要がある。会いたいと連絡をいれたら「かまいません」ときた。
 その日のうちに屋敷に出向いた。
老いた執事は見るたび痩せていく。
「大丈夫か?」
と聞くと
「はい」
と言う。
 この屋敷の住人は嘘ばかりつく。
「キミに話しておきたいことがある」
「なんでしょう?」
 慣れた手つきでコーヒーをいれてくれる。彼はいかなるときも美味いコーヒーをいれる。くたくたに体力を奪われていてもだ。コーヒーを一口飲んでから本題にはいった。
「わたしは彼女を助けたいと思っている」
 エドウィン・ジャーヴィスは深く目をつむってから息を吐いた。予想はしていることだった。昨日の今日だ。それ以外ない。ジャーヴィスは低く視線を落として言った。
「わたしになにをしろとおっしゃるのでしょうか」
「手を貸してほしい」
「具体的にはなにを?」
 スティーブは迷いのない真っすぐとした目でジャーヴィスを見ていた。
「まずはわたしを頼ってほしい」
「……」
 それは承服いたしかねます、と眉間が語っている。この屋敷の住人は他人に頼ることを嫌う。だがそれでも聞いてもらわねばならない。
「あと、彼女が出かけたとき、わたしに連絡をいれて欲しい」
「どういう意味ですか」
「クスリに手をだすのは時間の問題だと思わないか」
「わたしのお嬢様はそこまで愚かではありません」
 彼の怒りは予想していた。だがスティーブには確信があった。彼女はアルコールにもSEXにも、逃げきれていない。
「それならそれで構わない。わたしは彼女を助けたいんだ」
「ありがたい申し出だとは思ってます」
「我々はチームだ。わたしは彼女に救ってもらった。見捨てることはできない。いまのまま放置していたら、わたしはきっと彼女を失ってしまう。ジャーヴィス、キミもだ。ナターシャ・スタークはこのままだと死ぬ」
 その言葉がどれだけ老いた執事を打ちのめすのかはわかっていたつもりだった。彼は涙を隠そうともしない。
「頼むジャーヴィス。手を貸してくれ。彼女はこのままでは身体を壊してしまう。身も心も追い詰められている。だれかが手を貸さないと取り返しのつかないことになる」
「お嬢様が……死ぬ……」
「アルコールはひとを殺す。わたしの父もそれで死んだ」
ジャーヴィスの知らない話だった。スミソニアン博物館はスティーブの生い立ちを飾っていても家族のことまでは調べていない。
「ロジャースさま……」
「手を貸してほしい。いまならまだ間に合う。彼女を救える。会社のことがあって治療を受けさせることができないというのなら、我々で彼女を助けなくてはならない」
 もとからジャーヴィスにもわかっていた。日に日に荒れていくお嬢様を説得するのは自分にはできない。最近は目を見て話しもしない。だれかの力を借りねばならないとするのならスティーブ・ロジャースは適役といえる。そもそもこの男のせいで身動きとれなくなっているのだ。
「約束してください。暴力はやめてください」
「そのつもりはない。だが暴れる彼女を抑えこむことはさせてもらう。キミへの暴力も。身体を痛めつけるようなことを止めないなら抑えなければならない」
「……」
 ジャーヴィスはこのことを後々後悔する。もっとしっかり確約させるべきだったと悔やむことになる。だがキャプテンアメリカの行動にケチをつけるようなことが出来なかった。このときはまだジャーヴィスにとってもスティーブは英雄だった。英雄が自分の大切なお嬢様を救い出してくれるのなら縋りたかったのだ。
「よろしくお願いいたします」
ひとつうなずいて、スティーブは声をあげた。
「システム・ジャーヴィス。キミにもお願いしたい」
 屋敷のセキュリティを管理している人工知能のジャーヴィスは「大きな声でなくても聞こえます」と言った。
「キミにもお願いしたい。わたしはキミのマスターを助けたいんだ。この屋敷に来たとき、カギをあけておいてくれ」
「それは承服いたしかねます」
「なぜだ?わたしが盗みでもすると思ってるのか?」
「そういうわけではありませんが」
「なら、構わないだろう。最近キミにも話したはずだ。わたしたちの利害は一致しているはずだ。彼女のアルコール摂取量をキミは知っているだろう」
「昨晩は700mlのウィスキーを飲まれました」
「それが健康的な行為かどうか判断できない馬鹿だと思ってない」
「ありがとうございます」
「なぜ止めなかった」
「そのように命令されていません」
「ならキミは彼女が急性アルコール中毒で死んでしまっても構わないのか」
「マスターの死亡は忌避したい事態です。エドウィン・ジャーヴィスとマスターの生命活動の維持はわたしの第一命題です」
「だがキミはジャーヴィスに銃を向けたな」
「命令でしたので」
「そんな曖昧な判断ではキミはナターシャを殺すかもしれない。わたしはその話をしているんだ」
人工知能の思考は時間を要しない。
「カギをあけるだけでよろしいのですか?」
「もちろん、それだけじゃない。わたしがうろちょろしだすと彼女はきっとわたしに近づかせないようにキミに命令するだろう。それを無視してくれ。キミの主人はナターシャだ。それを覆すつもりはない。だが今後わたしたちはチームだ。ナターシャをドラッグやアルコールや無軌道なSEXから遠ざけねばならない。彼女を助けたいんだ。わたしの指示に従って欲しい。どうしても承諾できないのなら、その場でエドウィン・ジャーヴィスにメールでもなんでもいい。確認してくれ。彼もそうするべきだと言ったら遂行してほしい。わたしはこの屋敷からなにかを盗みたいわけじゃない。彼女を助けたいんだ。わたしひとりでは無理なんだ。我々は協力しなければならない」
 エドウィン・ジャーヴィスは観念していた。
 人工知能のシステム・ジャーヴィスは人間ではない自分にキャプテンアメリカが仲間と言った音声部分を切り取ってロックをかけた。ヴィジョンのように個性をもった知能になるキッカケであるように感じたのだ。理屈はない。システム・ジャーヴィスともなれば機械でも直観がある。
「あなたに従いますスティーブ・ロジャース。わたしはマスターの健康管理について口出しをしないように命令されました。このことはわたしにとってノイズでした。マスターが健康になれば、わたしはわたしの進化に時間を費やすことができます。あなたの社会的評価から信用すると決定しました」
「ありがとう」
 執事も頭を下げた。
「お願いいたします、ロジャースさま」
「わかっている。全力を尽くす」
「お嬢様を助けてやってください」
今朝もなにも口にしないまま鋭い瞳で出社した。このところ挨拶もかえしてくれない。
スティーブもうなずいた。
「だからこそ、わたしたちは団結しよう。協力しあおう。ひとりで抱え込まないでくれジャーヴィス。わたしを頼ってくれ。彼女を助けたいんだ」
「……」
 いまのジャーヴィスにそれを退ける度胸はなかった。お願いしますと、もういちど頭を下げるのみだった。
強力な2枚のカードを手に入れて、次のカードも手に入れた。このカードも非常に強いものだった。しかも勘が良かった。
 彼女は連絡も入れず社長室に向かう。他の社員を手で追い払ってからいつもの冷たい瞳で彼女は言い放った。
「ザナックスをどこにしまってるの」
「いきなりなによ」
「資材課の資料で確認したの。ザナックスを社内医療部が注文してるのに在庫数と合ってないのよ。あんなきつい安定剤の管理が杜撰だなんて労働省からの警告だけですまないわよ」
「あたしがしたっていうの!」
「そうよ!あんたがサインしてるじゃない!別に人間にサインさせなかったのは褒めてあげる。表沙汰になったら減給ではすまない責務を他人に背負わせなかったのはね、それは褒めてあげる。でも、2度とこんなことしないで!」
「あたしがなにしたって勝手でしょ!」
「クスリが欲しかった病院に行って処方してもらいなさい!会社を巻き込まないで!あくまでもシラを切るなら役員会を招集してあんたの経営権を剥奪するわよ」
「この会社はあたしのものよ!」
「ヤク中に任せられるとでも思った?うぬぼれないで。どんな能無しでもヤクをやらない社長のほうがいいに決まってるでしょっ」
返す言葉があるわけもない。ナターシャはおとなしく引き出しから箱をだす。それをひったくる。
「明日休みなさい」
「なんでよ!」
「命令よ、休むの。いいわねっ」
 ヴァージニア・ポッツはスティーブ・ロジャースの頼りになる援軍となった。
「あの子を助けてくれるのならなんでも協力する」
 手札は持ったが、勝つためには準備が必要だ。負ける理由のほとんどが準備不足だとスティーブ・ロジャースは知ってる。
 階下のアベンジャーズを全員呼び出したとき「必要なことなのか?」とソーに聞かれたが「必要なことだ」と言った。ソーは神だ。雷神だ。彼ならばひとりで出来ることも人間である自分には無理だ。スティーブは自分の力量がわかっている男だった。そして他人を完全に信用できない男だった。人間はそこまで完璧ではない。完璧ならば理想など追わなくてもいい。
 集まったヒーロー全員が不信な表情を隠そうともしていなかった。当然だろう。アイアンマンが自分たちのスポンサーのボディガードではなくスポンサー本人だった。それをソーとともに黙っていたこと。事実が明るみにでてから、それについて明言を避けてきた。ペギーにも叱られた。黙っているあいだに事態が好転することなどありえない。ペギーの言うとおりだ。彼女のいうことはなにもかも正しい。
うやむやにしておくことはできない。これからも『悪』と戦う仲間なら話しておかねばならない。
 スティーブ・ロジャースは腹をくくって、苦手な場所に飛び込むことを決めた。

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