8:Madripoor Night

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8:Madripoor Night
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The Avengers

 60年眠っていて、いちばん慣れないのはケータイだった。自分がどこにいても捕捉されてしまう生活に慣れることができなかった。戦場であれば便利だろう。だが町中でこの機能が必要だとは思えなかった。インターネットも好きになれない。
 悪意を垂れ流すインターネットで<ナターシャ・スターク>を打ち込むと最初のページは全部青痣だらけの顔で埋まる。ブログ検索をすると恥知らずという言葉で埋まる。
 彼女に対する悪意はとどまることを知らない。なぜここまで嫌われているのか、スティーブにはわからない。彼女は右派にも左派にも、嫌われている。銃規制派にも、それに反対している勢力にも嫌われている。武器を生産していたことと、それを辞めたことは、武器を使用しているほうにも、廃棄するべきだとしているほうにも、裏切り者になる。彼女に好意的な文章を書いているのは、投資家だけで彼らは彼女のビジネスの手腕を絶賛する。そして、それがヴァージニア・ポッツという有能な副社長の成果だと意地悪な文言で締めくくる。ビジネスは男社会だというのは読んだことがある。そこで成果をだしている苦労知らずのお嬢様はやっかみを買うものなのだろう。それが彼女自身のせいではないとしても。
 酒やSEXに逃げるのも無理からぬことだとスティーブは感じた。
 金属アーマーでぼろぼろになるまで悪党と戦っているのが彼女だと知れば風向きは変わるのじゃないか。ポッツ女史に聞いてみたところそんなことをしたら経営権を剥奪されるらしい。スティーブは経営がわからない。金の流れというのを意識的に見ないようにしてきた。そのツケを支払っている。
 キャプテンアメリカは法律の本と経営学の本を読む。同時に父も苦しめたアルコール依存症の本を改めて読みこんだ。ジャーヴィスがたくさん持っていたので借りた。自分が幼い頃、父にしてきたことが、アルコール依存症を煽ってきたという冷徹な事実の前に打ちのめされた。
 依存症は特定の何かに心を奪われやめたくても、やめられない状態になることだ。父ジョセフは完全に依存症だった。酒をよこせと母や幼いスティーブを殴ってきた。
ナターシャは医者にかかるのを嫌がるので、スティーブが医者に相談した。ジャーヴィスにも通わせた。医師の判断によると気分障害の可能性があるので休養をとらせるのがいいと言われた。
医者にかかるのも嫌がり、休養も嫌がる人間をどう扱えばいいのかわからない。
 60年の遅れを取り戻すかのように知識を吸収していった。それまでは戦闘スタイルを現代風にすることばかり考えていた。だが、今は知識のほうが必要だ。身体を鍛えても彼女を救えない。
 スティーブ・ロジャースは勉強した。
本を読むことも勉強することも、苦ではなかった。昔からそうだった。現代は本をデータとして落とし込むことができる。任務の合間に知識を深めていった。
「勉強熱心ね」
とブラックウィドウあたりに揶揄われても返事もしなかった。さまざまな専門家のさまざまな論文を読み漁った。スティーブ・ロジャースは超人血清によって鍛えられる前から、頭のまわる方だ。新しい知識をどんどん吸収して、エドウィン・ジャーヴィスと連絡をとり続けていた。
「ロジャースさま」
 ジャーヴィスの電話は大抵夜更けで、そのたびにスティーブは添付ファイルをあける。システムジャーヴィスが用意してくれたGPSデータは、彼女の場所を教えてくれる。
 下町の安い酒場のときもある。大音量でやかましい音楽をならしているクラブのときもある。真っ赤な照明だけの暗がりで絡み合ってる彼女を引きずり出したこともある。
 反抗しても無意味だ。
スティーブ・ロジャースは戦場で敵を生かして捕らえることに慣れている。非力な酔っ払いの首ねっこを掴んで車に放り込んで帰らせることなんてたやすい作業だった。
「あなたのせいよっ!」
 彼女は叫ぶ。
「あなたが下の階の連中にあたしの相手をするなって通達したもんだから、あたしがこんなとこまで来なくちゃいけないの!あなたが余計なことをしなかったら!」
 スティーブはなにも言わなかった。
クリントたちに彼女は病気なのだと伝えて相手をしないように伝えた。アベンジャーズはリーダーの言うことをよく聞く。その日からだれもナターシャの住む上階には近付かなくなった。アイアンマンだった彼女に聞きたいこともあっただろうが、そのことも踏まえて距離をとると決めたのだ。
 外で相手を探すためにはナターシャ・スタークであることが露見してはならない。
 厄介なことに彼女は天才的な科学者。自分の顔を他人に見せるマスクを開発していた。密着したゲル状のそれを薄く顔の皮膚にかぶせれば全く別人の顔になることができる。髪の色も染めてしまえば、SEXクラブで毎夜相手を探している女性がナターシャ・スタークだとは気付かない。たったひとり、それを迎えにくる大きな男以外には。
「どうして、来るの!」
 それの返事もしなかった。どんなに顔を別人にしても背丈までは変わらないし歩き方は変わらない。グラスをとるときの指の伸ばし方は、髪をブロンドに染めてもわかる。ナターシャ・スタークは寄宿学校でマナーを仕込まれている。
「ほうっておいてよっ!」
その返事もしなかった。家に帰るまでスティーブは一言も口をきかない。それが彼のルールであるかのようだった。
暴れる彼女を抱えて彼女の屋敷まで連れ帰ってなにごとか言おうとしてるジャーヴィスのことも無視して風呂に放り込む。アルコールを飛ばさなくてはならない。
「乱暴はやめてください!ロジャースさま」
「怪我はさせていない」
 たしかに怪我はさせていない。バスタブのなかで立ち上がる彼女は、ずぶ濡れで顔についたゲルを叩きつけた。
「なんなのよ!いったいなにをしてくれるのよっ」
「いいからさっさとアルコールを抜くんだ。明日も仕事なんだろう」
「あなたに関係ないでしょうっ」
「わたしは自分に関係のないからといって市民を見捨てるつもりはない」
「あんたに口出しされる覚えはないっ」
シャワーヘッドを投げつけても、だらしなく下に落ちるだけだ。スティーブは投げ出されたナターシャの腕をつかむ。ぐいと引き寄せて至近距離で怒鳴った。
「さっさとアルコールを抜いて寝るんだ。キミが寝るまで帰るつもりはない」
「さっさと出て行って!」
 ヒステリーを起こして暴れる彼女を組み敷くのもスティーブには慣れたものだった。髪を引っ張られても、爪をたてられても噛みつかれても、怯んだりしない。痛みに慣れていた。鍛えていない女性の抵抗など眉ひとつ歪めることなく押さえつける。ジャーヴィスのほうが心配になる。
「ロジャースさま、お願いします。お嬢様に乱暴なことをなさらないように……」
 殴るのも蹴るのも、ナターシャのほうだ。スティーブは慣れた手つきで抑えるだけ。それでも身動きとれない姿勢で叫ぶお嬢様を見ているのは執事には辛いものだった。スティーブはどのようなときでも自分が正しいと信じたことをやりきれる。
「ジャーヴィス、キミは暖かい飲み物でも用意してくれ。言っとくが酒は禁止だぞ」
 ナターシャがスティーブの腕にかみついた。それでも英雄は眉ひとつ歪めない。痛みには慣れていた。ヒステリー女の反撃など意に介さない。そのまま半身の軸をずらせてもういちど湯船につっこんだ。水しぶきがたっても顔色を変えない。
「帰ってほしければさっさと自分の足で立ってベッドまで行って寝るんだ!」
「あなたに指図される覚えはないっ」
「そこまで酔っていれば問題はある」
「あなたに関係ないっ」
「それはあたしが決める」
 ジャーヴィスがいないことは確認していた。シャワーのコックを最大にひねって彼女に向けた。息もできないくらいの圧力で水をかけた。呼吸もさせない。たまらなくて背を向けたタイミングで首をつかんだ。
「ジャーヴィスがいないうちに浴びるだけ浴びておけ。安定剤は下で吐いたが、どうせ全部ではないんだろう」
「ぐっは……」
「わたしには関係なくとも、ジャーヴィスには大問題だ」
 彼の大切なお嬢様はとっくに薬物に手をだしてる。
「あなたに関係ない……」
「関係があるかないかなど、もはや意味のない言葉だ。そう思わんか?キミはアル中で、SEX中毒で、クスリに手をだしているんだ。それにも関わらず病院に行きたくないというのなら、せめて執事に心配をかけないようにするべきじゃないのか。それともなんだ?警察に行きたいのか」
「なにをっ」
「キミが麻薬所持で逮捕されたらポッツが社長になるんだろうな」
 必死で蹴り上げようとするも、アルコールでぼろぼろの身体で英雄を傷付けられるわけもない。ひっくり返って頭をぶつける前に掴まれる。
「さっさと全部吐くんだ」
 太い指を無理やり口に突っ込んで胃の中のものを吐き出さそうとする。暴れる四肢が水しぶきをあげてもスティーブは容赦がない。彼は昔から優しい男ではない。目的のために手段を選ばない。押し上げる嘔吐感に堪え切れず酸っぱい大量の胃液と甘いアルコールの香り。それと半分溶けた白い錠剤。ジャーヴィスが目にしたら厄介だと、蛇口を向けて排水溝に押し流す。錠剤がくるくるとまわりながら消えていくのを確認してから、シャワーをふたたびナターシャに向けて。
「やめてっ」
 溺れるような水の流れに叩きつけられて声が出ない。ナターシャは背を丸めて耳をふさいだ。最初から勝てる相手ではない。嘔吐と暴れまくって疲れた身体が、ずるずるとバスタブに沈み込んでいく。背中にあたる痛いくらいの水流をそのままに唇をかんでいた。
「ロジャースさま……」
 ジャーヴィスの登場でコックが閉じられる。このタイミングを狙っていた。振り向いて殴りつけてやろうと思ったが、最初から勝てるはずがない。パンチがあたっても身体を揺らすことすらしない。もともと、いまの彼女の体力では傷ひとつ付けられない。
「元気がでてきたようだな」
「表情ひとつ変えないなんてホント嫌な男ね」
「光栄だ」
 虫けらを見るかのような冷たい目で自分を見る英雄に、なにを言ったところで無意味だ。彼は現代人のように優しくない。昔ながらの古い男は躾のために殴ることもいとわない。お目付け役のジャーヴィスが見ていなければ髪を引っ張ることもあった。暴れても暴れても太刀打ちできない男に必死で抵抗した。それでも彼は表情をかえない。女のヒステリーを腕力でねじふせた。爪でひっかいた傷や噛み傷が、どれだけ増えても通うことをやめなかった。
 ただそれはキャプテンアメリカの仕事がなければ、ということだ。
キャプテンアメリカは多忙だ。
遠い場所での任務の際、ナターシャは自由だ。
「自由の番人が聞いて呆れる!これが自由よ!あたしこそ自由の女神よ!なにをやってもいいの」
 彼女はだれにも支配されない自由を抱いてSEXクラブにかよい、ドラッグをため込み泣いてる執事に喚き散らした。
 だがそれも全部システムシステムジャーヴィスに見とがめられている。次の日スティーブは容赦がなかった。ジャーヴィスが止めても無駄だった。頭から水をかぶせて腹の中のものをすべて嘔吐させた。
「離してっ!放っておいて!」
 なにを言っても英雄には効果がなかった。眉ひとつ歪ませることなく粛々と任務を遂行する。ナターシャのなかからアルコールやドラッグを抜いてベッドで寝かせる。もとより体力が失われていってる彼女に勝てる相手でもなかった。
 その日もSEXクラブから連れ戻され車のなかで横になってた。真夜中のドライブ。ナターシャは身体をおこした。
「吐きそう……」
「……」
 黙って路肩に車をとめた。
盛大にアルコールと錠剤を道にぶちまける女の背中を2次大戦の英雄は黙ってさすっていた。女はかなり酔っ払っていて、やぶれかぶれだった。どうなっても良かったのだ。その場で座り込もうとするのをスティーブは慌ててとめた。嘔吐物まみれになる女性は見たくない。ナターシャは甲高い声でケラケラ笑っている。話が通じないと観念して近くのベンチに座らせ、横に座った。座った途端に昨日までのサベッジランドでの任務の疲労が急にのしかかってきた。こういうことはあるものだ。最近、疲れがなかなかとれない。4倍の代謝能力を誇るスティーブでも毎日遅くまで女の尻拭いをするのは疲れる。そして女は酔っ払っていても勘が良かった。
「帰れば?」
 疲れているのなら帰ればいい。自分のベッドで寝ればいい。ナターシャの青い瞳が自分を嗤っているのがわかった。
「そのつもりはない」
「糞が」
「言葉が汚い」
「うるさいっ!」
 そういった女の背中がぐらりと揺れる。大きな声をだした反動だ。スティーブは片手で女の肩をつかんで自分のほうに引き寄せた。焦げたようなアルコールの匂いとともにフレグランスの甘い香りが鼻の奥を漂いスティーブはつい笑ってしまった。
 女は勘がいい。
「なにが面白いのよっ」
殴りつけようと思ったが無理だった。スティーブは酔っ払っていない。身体をずらすだけでナターシャのほうがへたりこんだ。それを見ていた。
「キミは自分が男で生まれれば良かったとか言ってたな」
「は?」
「男に生まれていれば辛い思いをすることはなかった。男に生まれていれば父親とも良好な関係でいられた。男なら役員会は経営権の剥奪をちらつかせても対応できた。ビジネスは結局男の世界だからな。男だったなら世論もここまでキミを叩くこともなかっただろう。わけがわからん。なぜ被害者のキミを恥知らずなどと叩けるのか……。現代はわたしにはわからないことだらけだ」
「……」
 それはつねにナターシャが感じていたことだった。自分が父の望むような男であったならば世界はここまで自分を辛く追い立てなかっただろうと彼女は酔うたび考えていた。
 男であったならアフガンから帰ってきた自分は歓迎されたかもしれない。だが女であり、暴行にあって帰ってきた彼女に世論は厳しかった。歓迎してくれたのはジャーヴィスだけかもしれない。
「だがキミがもし男だったなら、わたしはここまでキミのためにしなかっただろうな。男でアフガンのことがあってアイアンマンになり夜遊びを続けるキミをわたしは毎晩迎えに行くだろうか。キミの背中をさするだろうか。キミをここまで心配しただろうか」
 スティーブ・ロジャースは弱いものには優しいが、戦えるものには手厳しい部分がある。
「でもあなたならするんじゃないの?英雄なんだもの」
「どうだろうな。キミが男だったなら、わたしはきっと軽く説教して背中を向けただろう。自分で戦えと言っただろう」
「あたしにもそうして欲しいわね」
「それはできない」
「なんでよっ」
 わめく女を一瞥した。水分の失われたかさかさの肌、瞳は青くよどんでいた。
「それはできない」
 男も女も同じ人間だ。同じように扱うべきだとニュースでもよく言ってる。キャロルもそういってる。それは一面的にそうかもしれない。だがすべて同じわけではない。ナターシャが男で生まれたならスタークが途絶えることはなかったし、ジャーヴィスが泣くこともなかった。
「キミに背中を向けられないのは、キミが女性だからだろうな」
 それ以外の答えをみいだせない。
「迷惑な話」
「かもしれんが観念してもらうしかない。わたしはキミを助けたい。我々はチームだ。キミがテーブルで食事をとってベッドで眠れるようになるまで見捨てるつもりはない」
「あたしの御守をしている間にもレッドスカルが悪さをしてるんじゃないの?さっさと帰って仕事をすれば?」
 イヤミのつもりだった。だが2次大戦の英雄は酔っ払いよりよっぽど多くのことを深く考えていた。
「レッドスカルは強敵だ。わたしひとりで勝てる相手ではない」迷いのない真っすぐな瞳で女を見た。「キミの助けがいる。キミが手を貸してくれたら、きっとレッドスカルを倒すことができる」
「なによそれ。アイアンマンはたしかに強いけどソーやワンダのほうがよっぽど役に立つわ」
「そんなことはない。わたしは現代がわからない。スカルもそうだ。キミは現代の申し子だ。さまざまな意味でな。もしわたしがスカルならキミを狙う。キミを手中におさめ自分の意のままにさせる」
 女の酔いが一気にさめていく。叫ぶしかなかった。
「あたしはだれのものにもならないっ」
「それが自由だ。だれからも束縛されないことが自由だ。わたしの信じるものだ。そしてスカルはわたしと逆のものを求めている。彼はキミを支配して兵器を生産させ世界のありようを変えようと考えているだろう。わたしが、彼はそう考えていると感じたことは当たるんだ。彼もそれを知ってる。逆も真なり。わたしはキミを自由であってほしい。だれにも支配されず生きていて欲しい。それをスカルは苦々しく思っているはずだ」
「やめて!やめてよ!あたしはあたしよ!あたしの好きなようにするっ」
「身勝手と自由は違う。キミがアルコールに逃げている。スカルはそれを利用することができるんだ」
「スカルだけじゃない……」
 女の頭のなかに浮かんでいるのは気味の悪い中国人の顔だった。
彼の腕のなかで一瞬でも和らいでしまった気持をナターシャは覚えている。あれは指輪の効力だと今ならわかる。どんなに分析しても取り上げた6つの指輪に、精神干渉に似た効力はなかった。つまりまだマンダリンの元にあるということだ。
 スティーブ・ロジャースは泣き崩れる女を見ていた。
「わたしにはキミの助けがいるんだ。現代で蘇ったわたしを救ってくれたのはキミだ。キミの助力がなければ生きることも難しかった。わたしはキミを見捨てられない。そして、わたしの敵をともに倒してほしい。スカルは本当に強敵なんだ。S.H.I.L.Dは偏執狂のコスプレ男だと思ってるようだが、彼は本当に世界を滅ぼすことができる男なんだ」
 金がなくても目からビームがでなくても、レッドスカルは言葉巧みに他人を支配することができる。手にした4次元キューブが脅威なのではない。彼の理想が脅威なのだ。
「あたしには関係ない」
「彼を倒すことが現代で蘇った理由なのだと、今ならわかる。そして現代を知れば知るほど、わたし独りでは倒せないことがよくわかる。手を貸してほしい」
「関係ないって言ってるでしょっ!」
「スカルがマンダリンと手を組む前にキミを助けたい」
「やめて!」
 耳をふさいで目をとじても気味の悪い中国人がそこにいた。ニタニタ笑う中国人が6つの指輪を失っても力を蓄えている。
「……」
 うなだれる女の肩を強く抱いてから、英雄は自分の作戦がうまくいったのか自信がもてなかった。

 

 アベンジャーズの任務にアイアンマンを参加させないようにしていたが、どうにもならないことはあった。ビヨンダーを阻止すべくモレキュールマンが要請をだしたときや、タイタン人サノスが来襲するときにはアイアンマンの資金や索敵能力が必要になる。
アルコールやドラッグに手をだしながらも仕事をこなす。面倒なところだった。
 S.H.I.E.L.Dの任務にも参加させないようヒューリーに伝えていたが、彼は小娘の健康より地球の平和を望む男だった。
「マドリプールに核兵器が持ち込まれているんだぞ。目の前の些事とでも言うつもりか」
「……」
 些事とまでは言わないが、その任務に彼女が必要だとどうしても思えなかった。
「マドリプールの支配権をジェサン・ホアンに移譲する話はナターシャの発案だ。ヒドラはキミの管轄なのにマダムヒドラをのさばらせた。そのツケを支払え」
 アルコールやドラッグに溺れていながらもビジネスは彼女の人脈を広げる。
「ジェサン・ホアンはリーバーズに襲撃された国際銀行の頭取の娘よ。誘拐されてリーバーズで働かされていたけど、マドリプールである程度自由がきくようになったからあたしにSOSを送ってきたの」
「なぜキミに?」
「テロ組織に誘拐されて望んでないことをやらされてる女性は、あなたよりあたしに連絡してくる。あと銀行のシステムなんか、あなたわかんないでしょ」
 スティーブが腹をくくってから、ナターシャはみるみる痩せていった。頬がこけ、腕や足は枯れ木の枝のようだった。
「いまの彼女が戦闘に耐えうるとは思えない」
「戦闘してもらいたいわけじゃない。ジェサン・ホアンが突き止めた、核兵器までのルートを確保をサポート出来る人材が必要なんだ。あそこは政治的にいろいろある」
 シンガポールとスマトラの間のマラッカ海峡南部に位置するマドリプールは小さいながらも超一流の高級ホテルや宮殿が存在する。S.H.I.E.L.Dの職員が自由に出入りできる場所でもなかった。物価も高い。
「承服しがたい」とスティーブ。
「意見は聞いた。出発は2時間後だ」とヒューリー。
 ナターシャはなにも言わずミネラルウォーターを飲んだ。酒を抜くためだった。
 マドリプールでの任務をクインジェットで話した。マドリプールは社会的に安定している方しか招待できないと言い放った。
「我は神ぞ」
 ソーが言っても無理だった。サーカスあがりのクリントなど勘定にもいれてもらえなかった。スティーブはためいきをひとつ。
「ロータウンで待機していてくれ。ダイナマイトじゃないんだ。すぐ発射できるものでもない。準備を整えて決行する」
 入国できた数人でジェサンと合流し、彼女のもつ情報とS.H.I.E.L.Dのつかんだ情報をつきあわせる。
 ブラックウィドウが現地でリーバーズとマダムヒドラの帳簿を盗み出し買い手にあたりをつけることができたのはヒューリーと話してから半日も経ってなかった。
「ソヴリンホテルのサーバに侵入する必要がある」
「はいはい」
 ジェサンを長時間拘束するのは得策ではない。
ソヴリンホテルにはナターシャを送るしかなかった。スティーブは不快感をあらわにする。だがあの最高級ホテルに出入りできる人間は限られているし、サーバにまで侵入できるスキルをもっている人間はもっと限られている。スティーブには前線部隊を指揮する仕事がある。
「そんな顔しないで。時間になったら発電所に負荷をかける。発電所はロータウンの電力供給をいったんやめてハイタウンに注力するから下は停電状態になる。ソーに張り切ってもらって監視の目をひいてもらったところで、セキュリティパネルをのっとる。そのあいだにやることやってちょうだい。マドリプール政府には発電所テロの話をしてるし、スターク産業の新型エネルギーの話もしてる。ジェサンには電力の不均衡の論文をわたしてるから、うまくやればロータウンの支持を固められる。あなたがうまくやってくれればマダムヒドラが失脚してリーバーズは後ろ盾を失う」
「……」
 スティーブはまだ不愉快な顔をしている。
「わかってるわよ。変だっていうんでしょ」
「本当にこれは我々が出動しなければならない案件なのか?」
「作戦がうまくいってるときこそ、用心をおこたるな」
「いいことを言うな」
「あんたが言ってたのよ爺さん」ミネラルウォーターのペットボトルを飲み干す。「なんか腑に落ちないけど核兵器を北朝鮮に持ち込まれたら厄介なのは確かだから無視できない」
「ヒューリーとは一度ちゃんと話しておく必要がある」
「あなたがやって。あたしはドレスを買ってくる」
 そう言って別れた。
腑に落ちない部分はあるものの危機であることは確かだったし躊躇している状況でもなかった。作戦は順調にすすんだ。順調すぎた。スティーブのなかの不信感はいつまでもはがれなかったが核兵器を回収したら長居は無用。クインジェットを検査されても厄介だ。すぐに離れることも作戦のうちだった。舟にもどって最初に目をひいたのは不機嫌なソーの表情だった。あまり暴れることができなかったので想定内のことだ。
「なんなんだ、この作戦は」
「わかってる。なぜこんな任務をわれわれアベンジャーズがせねばならないのか理解できない。核兵器の回収などS.H.I.E.L.Dでも国連でも動かせばすむ話だ。秘密裡に回収したがるヒューリーの意図がわからん」
「政治的判断というやつか?」
 クリントが少し笑った。
「王様はそういうの得意なんじゃねぇの?」
2人がじゃれあうのを横目に、キャロルに聞いた。
「ナターシャは?」
「部屋にいる。すっごい機嫌悪い。ほっといたらいいのよ、あんなお姫様」
キャロル・ダンバーズとナターシャ・スタークの仲の悪さには慣れていた。軍人のキャロルとビジネスマンのナターシャの折り合いが悪いのは仕方ない。作戦遂行を第一義とする軍人と利益のために臨機応変な対応をとるビジネスマンが上手くやっていけるわけもない。スティーブがナターシャを作戦に参加させたくないことを喜んだのもキャロルだ。「やっかいごとが増えるのよ」吐き捨てるように言うキャロルの気持ちもわかるが、スティーブにはずっとこの作戦に対する不信感があった。
 たしかに放っておいてもよかったのだが顔ぐらい見ておいたほうがいいと判断した。そしてそこでやっとこの作戦の全容がわかった。自分の判断力を悔やんでも遅かった。
 クインジェット中に女の甲高いヒステリーの声が響いた。
「だからほっとけって言ったのに」
 キャロルのつぶやきにS.H.I.E.L.Dの職員をふくめ全員が同意した。彼女の叫び声は長い間ひびき、最後はスイッチが切れたように静かになった。気絶したのだと全員がわかった。
 くたびれた様子で戻ってくるスティーブに「言ったでしょ」とキャロル。手で制して運転席に聞いた。
「どれぐらいで帰還できる?」
「あとまぁ4時間ぐらい?」
 マドリプールからアメリカの時差を考えればジャーヴィスは起きているだろうが4時間も心配させるのは気が引けた。最近は昼しか眠れないと言っていたし起こすべきではないと無理矢理判断した。ナターシャにもジャーヴィスにも睡眠時間が必要だ。執事に連絡せず自身でタワーに送っていくことを決め、息を吐いた。
 肉体的に疲れることは血清をうってから少なかった。これは本当のことだ。超人血清はスティーブ・ロジャースをタフな男にしてくれた。
 だが今回の失敗は悔いの残る失敗だった。手にある材料で判断できるはずだった。ジャーヴィスに電話しない言い訳があったことに安堵してしまうような失敗だ。失態といっていい。
現代に目覚めてから、ここまではっきりと失敗したことをつきつけられたのは初めてかもしれない。そして失敗は続くものだ。後悔と日々の疲れが一気に押し寄せ、超人兵士も一瞬眠りこけてしまった。ナターシャにもジャーヴィスにも、スティーブ自身にも睡眠時間が必要だったのだ。

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