5:Captain america

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5:Captain america
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キャプテンアメリカとレッドスカルキャプテンアメリカとファルコンキャプテンアメリカとペギー

 1920年に生まれた。
 1940年に血清を投与された。
 1945年に意図しない形で眠った。
 
 そしていま、目覚めた。
60年近く経っていた。
 母国の変わりようは正気を疑うほどだ。
 科学力の発展は言わずもがな。ありとあらゆる部分が変容してしまっていて、下を向くしかなかった。人口の爆発。人種の多様。
 すべてが変わってしまっていた。インターネットは便利だし、食べ物は美味くなった。だがアメリカは変わってしまった。
 彼が知るアメリカはヨーロッパの列強に肩を並べるために歩みをとめない希望にあふれた国だった。自由と平等を求めて旅だったものに勇気を与え、それを讃える国だった。
 インターネットはとにかく便利で、たくさんのことを教えてくれた。
緊急通報用電話番号と同じ3つの数字を入力してエンターをおす。まるで意味がわからなかった。戦場の意味まで変わった。人の命の価値が変わった。市民を警告なしに襲う活動を正義だと連中はいう。わけがわからない。
 そんなものはけして正義ではない。これが正義であるなら、世の中は正義にあふれている。
だがきっとそうなのだろうと思い直すことにした。
 昔は単純だった。
正しいものと間違っているものは、白と黒のようにはっきりと2分されていた。少なくとも、そう見えた。いまは人の数が増えすぎて、そのひとりひとりの価値観で正義が語られるのなら、揉め事が増えるのも当然だ。
だがそうなっても、自分の正義を貫くことを決めた。
 自分の理想を求めることを決めた。
自分がなぜ兵士として立ち上がったのか。自分のなかに問い続けた。
「わたしが望んでいるものはなんだったのだろう」
 2次大戦のときは無邪気に戦えた。
間違っているものが目の前にあった。妄執に取り憑かれた狂人たち。ナチスによって盲目になってしまった人々、それらから逃げ惑う人々。彼らを助けるのが自分の仕事だと思っていたし、実際のところ、とても感謝された。やっていて気分もよかった。このために血清を打ったのだと自分を誇らしく思えた。
 だが、時代が変われば意味が変わる。
彼はもう無邪気に星の盾を投げることができない。
世の中の変わりように、白旗をあげたい気分になっていた。
 サラ・ロジャースはかつて言った。
「諦めず、立ち上がりなさい」
 その言葉がいままでのスティーブ・ロジャースを支えていたといっても過言ではない。母の言葉は呪いのように彼に染み付いていた。
 家族は呪いだ。
どんなに引き剥がそうとも皮膚にぴったりはりついている。それとともに生きていくしかない。母の言葉に縛られていた。
だがそれでも。時代を飛び越えてでも。困難な状況にいるひとびとがいるかぎり戦うことを選ぶべきだと考えた。
祖国はどんなに変わってしまっていても、弱い人間を虐げる悪党どもはいなくならない。むしろ昔よりやり方が悪辣に感じたし、数も増えているようにも見えた。
 できるだけ理性的に考えるようと務めた。
ヒステリックな感情や政治的判断という名の妥協をしないよう務めた。戦場では正しい判断をしないと生き残れない。どんなに訓練を重ねても、銃を撃ちまくって勝てるわけではない。戦場でどれだけ冷静に振る舞えるかが生死を分ける。
 どんな能力があろうと、知能指数が高かろうと、高性能な武器をもっていようと、戦場のルールはひとつ。強いものが勝つ。
その強さとは自分を知ることだ。
 自分がなにを知っているか、なにを知らないか。それをわかっていることが生き抜くことにつながる。
だから蘇ってからずいぶんと勉強した。
 現代についてなにも知らないとわかったので勉強を重ねた。歴史のことや、政治のこと、外交のこと、戦術やトレーニング方法、武術。ありとあらゆることを勉強した。たしかに芸能や文化については後回しになっているが現代がなにを求め、なにを目指しているのか。母国がなにを思って発展してきたのかを知りたかった。
 勉強していてわかったことはたくさんあった。
まず自分が眠った1945年に戦争が終わったこと。
 その事実にはすこしだけ慰められた。日本に落とした大きな爆弾は大変な悲劇だし、市民をあれだけ殺す必要があったとは思えない。バッキーを死なせたことも消えないが、戦争が終わったこと自体は喜ばしい。
 そして最後の戦場でもあったイギリス海峡での戦い。
レッドスカルの顔を思い出して、彼は妙な胸騒ぎを感じた。
 インターネットにはレッドスカルはナチスの狂人だと書いてあった。1945年に死亡したとも書いてある。彼はインターネットよりもスカルに詳しいであろうS.H.I.E.L.Dのデータベースで確認した。
 レッドスカルは死亡と書いてあった。
「気になるのか?」
とヒューリーに聞かれたときも素直に応えた。
「死体を確認したか?」
「できなかった。掩体壕は大破していた。そのあとにすぐ終戦だったこともあって人員を避けなかった。だが死んでるだろう」
「……」
 納得できなかった。
憶測でものごとを決定することに慣れない。ヨハン・シュミット。あの男はただのナチスの狂人ではない。
 レッドスカルことヨハン・シュミットは思想家だ。
テロリストであり、人を従えさせる魅力的な執政者であり、世の中を心底憎んでいる男だ。S.H.I.E.L.Dの資料もレッドスカルにあまりページをさいてはいなかった。死んだとされているのだから当然かもしれないが、スティーブにしてみればもっとも恐ろしい男のことを適当に扱っているようにしか見えなかった。
「あの男は狂人だ」
「知ってる」
 ヒューリーは笑っていた。
「わたしと同じくらいな」
「なにを言ってる」
 ヒューリーはまだ笑っていたが、スティーブは笑えなかった。
ヨハン・シュミットは真の悪党だ。
 人を殺すことも、利用することも、屁とも思わない冷血漢。幼い子供の前で父親を殺す男。母親の前で赤ん坊のほほに煙草をつきつける男。
 当時からヨハンが感じていることをスティーブも感じていた。
レッドスカルとキャプテンアメリカ対極に存在する。
 レッドスカルにはキャプテンアメリカを自分の手で倒したいという野望があった。現代ならばそれを非生産的な神経症だと言うだろう。だがそんな簡単なものではない。若造にはわからないかもしれないが、これは非常に重要なことだ。物事の有り様を変えることだ。だからヨハンはスティーブを自分の手で殺したいと考えている。そして同じことをスティーブも考えていた。
 レッドスカルは自分の手で始末をつけなくてはならない。
現代の若造は、発明品やシステムで世界がかわると思い込んでるが違う。世界が変わるのは人だ。人で変わる。
レッドスカルはいまでも根強く残る選民思想のシンボルだ。現代でも優秀な白人が世界を支配するべきという狂った思想が残っていた。レッドスカルは赤いドクロだというのに、いまでも狂信者たちにナチスのアイコンとして持ち上げられている。
 当時レッドスカルが在籍していたナチスの特殊化学部隊ヒドラはいまでも活動を続けている。そこの旗印は現代でもレッドスカルだ。赤い髑髏は鉤十字と同じくらいの意味があった。ちょうど、キャプテンアメリカが星条旗と同じくらいの意味を持つように。
 レッドスカルは特殊な能力をもつわけではない。
だからS.H.I.E.L.Dも遺体の確認をいまだにしていないのだろう。ニックにいっても、彼も曖昧な表情を見せるだけだった。予算の話もされた。
 自分が生き残っているのであれば、ヨハンも復活しているはずだ。勘としか言いようがないが確信していた。
 自分が生きていたというニュースが全国で流ればヒドラはスカルを欲しがる。彼らが見つけるよりさきに、S.H.I.E.L.Dが見つけてくれればよかったのにそうはならなかった。
 ヒドラの下部組織のひとつAIMはバンカーから赤い髑髏を救い出した。スカルは昔から愛用していた毒の霧と同様にコズミックキューブと呼ばれる訳のわからないものを持って休眠していた。
 スティーブがビブラニウムという謎の材質の盾を持つのと同様に、スカルもコズミックキューブという謎の物体を持っていた。
スティーブが持つ盾は彼の理念を映し出している。
 守る盾でありたいという願いが彼の武器にあらわれている。
スカルのキューブも彼の理念を映し出している。
 望んだものを作成するというコズミックキューブ。彼はこれで自分の世界を作りたがっている。当時ナチスの手にあり、だれもまともに扱えなかったコズミックキューブはスカルの手に落ちてから、真の主人を得た犬のように、従順にふるまってきた。当時からスティーブはヨハンとの因縁を確信していた。やはり雌雄を決するまで戦い合わなければならない。
 バンカーの瓦礫のしたで妙なガスを吸って休眠し生きながらえていたレッドスカル。その報告があったときニックを軽く睨んだが意に介さないようだった。
「まるでわたしたちは合わせ鏡だ」
「同意見だよ、ロジャース」
 そういう声が聞こえた。そんな気がした。おそらく言ったのだろう。レッドスカルは理念だ。
憎みあい殺し合ってでも、優秀な人間だけが世界を支配して人類を新しいステージに連れて行くという狂った思想の体現者。ナチスが彼を育てたのではない。彼の理念がナチスと合致しただけだ。
 スティーブ・ロジャースとは逆の理念。世界の有り様を変えようとしている。
「そうはいっても、もう90過ぎだ。どんなガスを吸ったか知らんが年寄りだ。AIMでどんな治療をしたところで、もとのスカルにはならんさ」
「そうは思えん」
 実際スティーブが1945年の姿で戻ってきたというのに、ニックは脳天気なものだった。
「キミがわたしの知らないことを知っているだけなのかもしれないが、彼はわたしの目の前にあらわれるよ。そして大勢の人が死ぬ」
レッドスカルの周囲には死人が積み上がる。
 それは近いうちだと感じた。
スカルの情報がS.H.I.E.L.Dに流れて、それがスティーブの耳にはいるまでの時間をスカルは計算する。それを逆算してAIMを出し抜く。科学者にレッドスカルを支配できるわけがない。リード・リチャーズやナターシャ・スタークにキャプテンアメリカを支配できないのと同じだ。科学で曲がるような柔な理想を掲げているわけではない。
 ハーレムで毒ガスが散布されたという通報があったとき、スティーブは反射的に走りだしていた。平素ならば上官からの指示を待って動くことにしているが待っていられなかった。
 レッドスカルを止めなくてはいけない。それが現代に蘇った責務だとさえ思った。
昼間でも薄暗い細い路地に子供や年寄りが山のように重なって倒れていた。ひとりの青年だけが涙を流して立ちすくんでいた。
 スティーブはとっさに盾を構えたが青年はナイフを振り上げて足元に横たわる同じ年頃の少女を睨んでいた。涙ですべてがわかった。
「気をしっかりもつんだ!キミが彼女を殺さなければならない理由などないっ」
「なんも知らねぇくせにうるせぇよ!星条旗ヤロー!」
 若者の口の利き方には慣れていた。レッドスカルのやり方にもだ。
「わかってるさ、青年。キミは追い詰められている。赤い髑髏の言葉がはがれないのだろう?彼女をナイフで殺さなければならないと思っているのだろう?だがキミはそんなことしたくないんだ。わかってる」
「うるせぇ!うるせぇっ」
「キミ自身に聞くんだ!キミがナイフを手放してくれたら、わたしはキミを助けられる」
「助けなんかいらねぇよ!すっこんでろ!俺が選択しないと終わるんだ!」
「終わるのはキミの心だ!」
 油断していた。目の前の青年に気をとられていて上を見ていなかった。視界の先に赤いものがよぎったら構えるべきだと60年前からわかっていた。
 なんとか呼吸を整えて距離を外した。
壁つたいの階段上でレッドスカルが笑っていた。
「どうやら、お前はホンモノのようだ」
 スティーブが眠っているあいだにもキャプテンアメリカは存在していた。レッドスカルもそうだ。スカルはニセモノのキャプテンアメリカなど興味ない。スティーブもまた名前だけ引き継いだレッドスカルに興味はない。ニセモノにできないことをホンモノはする。
「なにをしたんだ」
「わたしの仕事は昔から同じだ、ロジャース。掃除だよ」
 世界は美しくなければならないのさ。といってヨハンは笑った。隼の雛をつかんだ。
「やめろぉぉっ」
 そう叫んだのは青年だった。青年は少女に突きつけていたナイフをレッドスカルに投げつけた。赤い髑髏はバランスを崩したようだ。
「なんだ貴様はっ」
 その隙に星の盾を投げてやったが、視界の先に赤いものがよぎったら構えるべきだとスカルも60年以上前から知っていた。キューブに意識を集中する。姿が霧散する。
 路地裏に盾とナイフと雛が転がった。その瞬間に少女が事切れた。
殺しても、殺さなくても、同じことだったと青年が大声で泣き叫んでスティーブはその肩を支えた。すでに両親をなくしていた青年は友人たちもなくしてうずくまるしかないようだった。
 サミュエル・トーマス・ウィルソンは赤い隼を抱きしめた。
子供のころから鳥の世話をするのが好きで、鳥の言葉がわかるとサムは言った。スティーブは霧に頭をやられたのだろうと考えることにした。鳥と会話できるとはなんなのだ。
 この哀れで不運な青年のことをスティーブは長い間相棒として横においた。
後年ファルコンは聞く。
「どうして俺を相棒にしたんだ?」
キャプテンアメリカは表情を柔らかくした。
「キミにはあのときふたつの選択があった。キャプテンアメリカか、レッドスカルか。どちら言葉に耳を傾けるか、ふたつの選択があった。そしてキミはわたしの言葉を聞いてくれた。その行動が、きっと現代でもわたしを支えてくれる」
ファルコンはすこしだけ首をひねった。相変わらず、よくわからない物の言い方をする人だとおもった。
「現代はスカルが優勢だ」
 その言葉が少しだけ寂しく聞こえた。
ファルコンと行動するようになる少し前から、サポートメンバーにシャロン・カーターがいた。初めて見たときから気にはなっていた。あまりにも似ていたのだ。生き写しのようにも見えた。聞いてみたら、そのとおりだったので驚くと同時に悲しくもあった。
愛した女性。
 ペギー・カーター。
その彼女がすでに結婚して孫もいるというのはいやがうえにも自分が60年も眠っていたことを突きつけられる。ペギーの孫娘がS.H.I.E.L.Dに参加していたということは自分の理想を受け取ってくれている人間もいるということだ。喜無ことにした。
S.H.I.E.L.Dのミッションはたいてい面倒なもので、スティーブはファルコンとともに身を粉にして働いてきた。そして、シャロンがいつも手助けしてくれていた。
 そういうことになるのは極自然なことなのだろう。
ペギーがどう思うのかは知らないが。
「信じられないわ」
 老人ホームのベッドに横たわってペギーは呟いた。スティーブはそのときになってはじめて考えた。
「そうか、シャロンとそうなっているのはキミには不愉快なことだろうか」
「当然でしょ。あたしの若い頃とそっくりな孫と懇ろになってるなんて、あなたは当時から、あたしの顔しか見ていなかったみたいじゃない」
「そんなつもりはない」
「わかってるわよ」
 ペギーは10代でフランスのレジスタンスに参加していた女傑だ。気が強く、辛辣で、誇り高い口調で話す女性。彼は母を思い出していた。ベッドでも弱気にならない女性。キャプテンアメリカにも物怖じしない女性。
「あなたは昔からそう。女の扱いが雑なのよ。いまは1945年じゃない。言い寄ってくるからって簡単にベッドを共にしないで」
「うむ……」
 スティーブ・ロジャースはペギー・カーターに勝てない。惚れた女に勝てる要素などあるわけない。
「本当に愛してくれているのならいいわ。でも昔のあたしたちのことを懐かしんで抱いてるのなら許さない」
「そんなつもりはない」
「自覚してたら訴えてやる。あんな子でも、あたしの孫なの。どう?あの子は諜報員として有能?」
「なんども助けてもらっている」
「正直に言って」
 ペギーにはかなわない。
ちょっとだけうつむき加減になってしまう。
「可もなく、不可もなくといったところかな。いままでの任務で報告書に書くほどのトラブルはなかった。だが突発的な事由のさいの判断が遅い。思い込みが激しい。ニックや他のエージェントが彼女に一目置いてるようなので問題ないだろう」
 皺だらけの才女は笑った。
「あたしの孫だからよ。あの娘は現場に向いてないと思ってる。冷静に判断することが出来ていないまま前線に立ってキャリアだけ積まされてる。勝手に思い込んで、泣きながら敵の懐に飛び込んでいくタイプよ。『それしか方法がないのよ、わたしがやるしかないの』ってね。どんなときでも道を見つけることができないのなら戦場に立つべきじゃない。それをわかってない。仲間に救出してもらってから『余計なことをしないで』って騒ぐタイプ。ヒロイン気質の女スパイなんてイアン・フレミングのノベルで充分。依存性人格障害の気があるってニックには言ってあるのに考え過ぎだって笑われたわ」
 そんなことで諜報機関が機能できると思ってるのかとペギーは吐き捨てた。10代からレジスタンスのスナイパーとして組織を率いていたペギーはスティーブやヒューリーと同じくらい歴戦の勇士だった。大きくなりすぎたS.H.I.E.L.Dに懸念を抱いている古株のひとりだった。
「キミは変わらないな」
 ペギーは肩をすくめた。
「60年たって変わらないなんて馬鹿にしてる?」
 たしかに60年前は張りのあった表情が皺におおわれ、美しかった髪も白くなっていしまっている。ベッドスタンドには家族の写真。そして痴呆症の症状がでている。そうスティーブは聞いていた。
「キミは世界的な諜報機関の立ち上げに尽力を尽くした女性だ。さまざまな情報を持ってるだろう?そんなキミが痴呆症になって厄介なことを口走らないか、S.H.I.E.L.Dはどうして考えないんだ?」
 民間の老人ホームに預けていい人材ではない。ベトナム戦争や冷戦時代のアメリカの暗部も対処してきた。彼女の昔話で大作映画が量産される。
 こんなところにいていいはずがない。
「馬鹿だからよ。ニック・ヒューリーは無能だわ。武器の扱いが上手なだけで組織の運営っていうのをまるでわかってない。自分だけがたくさんの情報と手段を持ってると思ってしまうと、どんな無茶も可能だと思える。自分以外全員馬鹿だと思ってる。権力者のケータイを盗聴して秘密をちらかして自分の欲求をとおすことが政治だと思ってるのよ」
 ペギー・カーターはハワード・スタークやニック・ヒューリーと肩を並べてきた。世の中の変貌というのを見てきた。部隊の安全のために離れた場所で銃をひとりで構えていた女傑は、当時から一歩離れた場所で流れを見てきていた。
「なぜ痴呆症の振りなんかしているんだ?」
「ふりじゃないわ。ときどき、ほんとうに自分がなにをしているのかわからないことがある。他の90過ぎよりしっかりできてる自覚はあるわ。でも自分がソ連の防壁に関する厄介なことを言い出さないようS.H.I.E.L.Dに保護してもらいたかったのに、連中の処理がコレよ。信じられない」
 スティーブは少しだけ笑った。
「てっきりシャロンのせいかと思った」
ペギーは笑ってなかった。
「それもあるわ。孫から聞くあなたとの話なんてまともに聞いてられるものですか」
「……すまん」
 謝るしかなかった。
スティーブ・ロジャースはペギー・カーターにかなわない。彼女の芯の強さと誇り高い眼差しに魅了される。けして自分を甘やかさない。キャプテンアメリカをも戦力として冷静に判断して指示を送ることのできる優れたスナイパーだった。
「スカルが復活した」
「あたしに言っていいの?」
「キミに相談したい。わたしは現代がわからない。彼の次の一手がわからない」
 ナチスにいたころのスカルなら手を読み合うことは簡単だった。だが、時代は変わってしまった。ペギーはそれをわかってる。スカルの狂気を体感してきた生き残りだ。
「あなたが現代に戸惑っているなら、彼もそうだと思わない?」
 レッドスカルとキャプテンアメリカは合わせ鏡。
ペギーは昔と変わらない瞳でスティーブを見ていた。
「あなたはいまだれを信じられる?組織を昔ほど信じられる?自分のことを道徳の教科書のように敬ってる若い連中を信じられる?」
 スティーブもまたペギーを見ていた。
「キミなら信じられる」
「そうね。きっとスカルもそうよ。いまのヒドラをスカルは信じない。自分に付き従う若い連中を利用はするけど、信じたりしていないわ。彼が信じられるものは、きっとあなたと同じ」
「自分自身と昔から変わらないものか……」
 ペギーが皺だらけの手で自分の皺だらけの目尻をぬぐった。最悪なことが彼女の脳裏によぎったのだ。
「あたしがスカルなら、あの娘を狙うわ。シャロンを狙う」
 スティーブも視線を落とした。それはあり得る推論だった。
「真面目な優等生ほど洗脳にはかかりやすい。自分が信じているものが唯一無二の真実だとするのよ。自分で自分を追い詰める。他のやり方を見つけられない。思い直すこともできない。衝動的な行動でメソメソするのが目に浮かぶわ」
 シャロン・カーターの真面目さとS.H.I.E.L.Dに従順であろうとする態度はスカルには下拵えがすんでいるようだろう。
「Drファウスタスという男に気をつけて」
「だれだ?そいつは」
 初耳だった。
「心理学者よ。あたしの耳元で囁いたわ。手を貸してほしいんですって。キャプテンアメリカが間違った道に歩まないように話し合いたいんですって」
 ペギー・カーターはベッドサイドから名刺を1枚取り出して渡した。
「ヨハン・ファウスタス?カウンセラーか」
「2日に1度は面会きてる。こんなお婆ちゃんを手駒にしたがってるなんてね」
「S.H.I.E.L.Dには報告したか?」
「えぇ、とっくに。ほんとに無能だわ」
 ニック・ヒューリーだけじゃない。S.H.I.E.L.D全体がまるで児戯のようだ。なんにも考えずにコスチュームを着て喜んでいる子供の集団のように思えた。
 これが現代だというならスティーブはとてもじゃないが慣れる気がしない。
「そのスカルがホンモノの、あのヨハン・シュミットだというなら、気をつけて。あの男はまともじゃない」
「わかってる」
「そして現代はスカルのほうが優勢よ。あなたが勝つには昔の戦い方では無理だわ」
「……」スティーブは蘇ってはじめてはにかむような柔らかい表情をしてみせた。目の前の老女を抱きしめたい衝動にかられていた。「やはり、キミが……。わたしの最愛の女性だ……」
「わかってる。でもシャロンには内緒よ」
 せめてペギーの手を包んでキスした。
皺だらけになっても強い眼差しでペギー・カーターは言った。
「あなたが命がけで守ってくれたのに、あなたの望むようにはできなかった」
「キミのせいじゃない」
 そういった途端、網膜にすこしだけ白いものがよぎったように見えた。
「あぁ、スティーブ、スティーブ。帰ってきてくれたの?ずっと待っていたのよ」
 その声があまりに悲痛だったものだから、スティーブは思わず近寄ってしまった。細くなってしまった肩を両手で包んで囁いた。
「ペギー、ペギー。わたしはここにいる」
「あぁ、スティーブ……スティーブ」
 60年の眠りをいやというほど思い知らされたあと。
「うまいものでしょ?」
ペギーの篭った笑い声にスティーブも笑ってしまう。
「キミはまったく……」
「あたしを洗脳しようだなんて、甘く見られたものだわ」
 S.H.I.E.L.Dは長官の人選を完全に見誤ったのだ。その日、スティーブはひさしぶりに腹の底から笑い、他人との会話が楽しいと思った。現代に蘇ってはじめて、スティーブ・ロジャースに戻れたと思えた。
「まだ画を描いてる?」
と聞かれた。あぁと応えるとペギーも嬉しそうに笑った。なにを描いているのか聞かれてから、正直に答えるのにためらいがあったが、嘘もつけない。
「昔の画ばかり、描いている」
「いくら描いても戻ってこないわ」
「……」
 そんな会話をしてから帰った。部屋でいまのペギー・カーターを描いた。何枚も、何枚も描いてから「最愛の女性はやはりキミだ」と呟いた。