
「闇の魔法使いに顎で使われる闇払いとはね。笑えない」
溜息混じりのその言葉には、確かに侮蔑と嫌悪の色が混じっている。
「まあ、確かに。婚約者を殺された君には、考えられないだろう」
返ってきた言葉にも、あからさまに刃が含まれていた。
男は椅子に後ろ手に縛られていて、もう一人はそれを離れて見下ろしている。
二人の表情も、声も、どちらも静かだった。それだけに、暗い部屋に、何かしら潜む緊張感がひりひりと迫る。
ちらちらと明滅を繰り返す小さな灯は頼りなく、いつ、暗闇になってもおかしくない程に儚い。
不穏な空気を膨張させた二人の意識を、ふいに、小さなノック音が霧散させた。
軋む金属音と共に、部屋の外に人影が現れ、するりと影の様に忍び込む。その姿を見て、椅子に縛られていた男は、表情を亡くした。それを見た闇払いは、ああ、と思う。
こいつは、戦う気だ。
そう思い付いて、知らず苦い顔を作ると、影が振り返って言った。
「二人にしてくれ」
一体、何の話をするというのか、と気になるが、従わないわけにはいかず、素直に部屋を出るが、未練たらしく中を見遣ると、影と目が合い、諦めてそっと扉を閉める。
閉めた扉の前に立ち塞がる様にして、闇払いは背後の気配に集中した。
拘束されたテセウスの前に椅子を持ってくると、グリンデルバルドが腰を下ろす。
晩餐会から直接やって来たのか、タキシード姿でタイをだらしなく解いていた。それをただ無表情に見ているテセウスに、グリンデルバルドは小さく溜息を吐く。
「元気そうで、何よりだ」
もう、立ち直れたかな?
そう言って、上目遣いにテセウスを覗き込む男の顔は、明らかに笑みが浮かんでいた。その茶目っ気を帯びた笑顔を眺めながら、テセウスは、挑発されているんだろうか、と他人事のように思う。
自分の役割が何なのかは、知らされていなかった。故に、何かを考えることもない。ただ、無心に目の前の男を見つめるだけだった。
すると、先に音を上げたのはグリンデルバルドの方で、椅子の中で身じろぐと、背もたれに肘をかけて斜めに座り直し、足を組む。
「夢を、見たんだ」
灯の届かない暗闇を眺めながら、ふいに、グリンデルバルドが呟いた。無反応のままのテセウスを振り返ると、男はじっと話を聞いているテセウスを正面に捉える。
「その夢には、君がいた」
そこで言葉を切ると、グリンデルバルドは何かしら躊躇う様に目を逸らした。
「私には、未来を見る力がある。あの男に聞いてるかね?」
男はそう言って、確かめるようにテセウスを振り返る。そうして、だから?と言わんばかりの無表情を見つけて、グリンデルバルドは溜息混じりに苦く笑った。
「私と君は、」
グリンデルバルドはそれだけを言うと、口を噤み、目を逸らし、暗闇を見つめる。
テセウスからすれば、イライラとする沈黙だった。それが目的なのかどうかは知らないが、言いたい事があるならさっさと言え、と喉元までせり上がってくる。
「何だよ」
ふいに、声が出てしまい、テセウスは思わず唇を噛んだ。
ダンブルドアといい、この男といい、どうにもこの二人の前だと、己の未熟さを思い知ることになる。
仕方がない。
乗せられてしまったからには、最後まで付き合わないといけないのだろう、と諦めた。すると、グリンデルバルドはちらりとテセウスを見遣り、ひっそりと溜息を吐く。
「夢の中では、君はもっと、こう、」
尚も言い淀む男に、いい年こいたおっさんが、という怒りが沸いた。
「言いたい事があるなら、さっさと、言え」
その鋭い語気に顔を上げ、男はにやりと笑う。
ああ、とその笑顔に舌打ちすると、テセウスは思い切り顔を顰めて、後悔を露わに目を瞑った。
「君は、もっと甘やかで、私に全てを委ね切っていた」
楽し気な男の声に目を開けずとも、男が笑んでいるであろう事が分かる。だから、猶更の事、目を開けるのをテセウスは拒んだ。
眉を顰め、目を瞑り、苦悶の表情を浮かべて、己を宥めるかのようにゆっくりと肩を上下させて息を継ぐテセウスを、男は楽しそうにただ眺める。
その屈辱は、何故だろうか?
聞いて確かめてもいいだろうが、其処まで自分は酷な男ではない。だが、せいぜい身悶えるといい。恥辱に打ち震える姿は、何とも愛らしいものだ。
にやりと笑って、男がしみじみとテセウスを眺めていると、ふいに、違和感に気付く。
そうして、男が静かに立ち上がった気配に、テセウスが目を開ければ、目の前に立つグリンデルバルドを見上げた。
徐に伸ばされた手に、テセウスはびくつきはしなかったが、息を止める。
冷たい指が頬を辿り、顎を過ぎて喉元に触れた。
首を絞められるのか、と思ったがそうではなく、グリンデルバルドは緩められたネクタイを解き始める。
しゅるり、と衣擦れがして、赤い布が、男の手に握られた。
「グリフィンドールの赤、か。つくづく、強欲な男だ」
金糸の刺繍が、あえかな光を捉えてきらりと光る。と、いきなり後ろ髪を捕まれ、テセウスは無理矢理に顔を上向かされた。
「あの男の元に、帰してなどやるものか」
息が触れんばかりの距離で目を覗き込まれ、テセウスはただ、唖然とグリンデルバルドの目を見つめる。と、グリンデルバルドの目が和み、笑った拍子に男の息が掛かった。
がちゃり、と金属音がして、闇払いが扉から離れ、振り返る。
「これは、始末しておけ」
そう言って、グリンデルバルドに赤いネクタイを無造作に渡された。躊躇いもなく去ろうとするグリンデルバルドに、男が慌てて、止める様に手を伸ばす。
「テセウスは?」
「連れて行け」
グリンデルバルドは命令を下すと、振り返ることなく去って行った。
残されて後ろを振り返れば、暗闇に荒い息を吐くテセウスを見付ける。
灯を翳して男が近付けば、確かにテセウスは怒りの形相を浮かべていた。
挑発に乗せられたか、と男は思うが、けれども、何か違うものを感じる。
「くそ」
荒い息を吐きながら、テセウスが口汚く罵った。
「何を言われたかは知らんが、冷静になるんだな」
闇払いの言葉に、テセウスは今度こそ闇払いを睨む。
せいぜい、私の事を考えてくれ。
グリンデルバルドの言葉が蘇り、テセウスは再び罵った。
遠くで、男の笑い声が聞こえた様な気がした。