
Chapter 2
「錬金術の授業を受けない?」
「え?」
丁度消灯時刻を過ぎようかというところだった。集中して本を読んでいたせいで、肩を叩かれるまでそんなことも忘れていた。
トム・リドルは心配そうに私を見下ろしていた。すごく感じが良い人だと思うんだけど、アルファードくんは『こいつには裏表がある』と言って憚らない。
「人数を集めないとクラスを開いてくれないって言うんだ」
すごく困った感じでそんなことを言う。錬金術の授業なんて、聞いたことがない。
「どうして私に?」
「ロジエールさんなら興味があるかなって」
リドルくんはその端正で顔面でとても困ったような表情を作ってみせた。うぅ、なんだかこっちが悪いことをしている気分じゃないか。
「悪いけど、NEWT試験の勉強が忙しくて……」
「そこをなんとか!」
こう言えば引き下がってくれると思ったんだけど、相当その錬金術の授業を受けたいようだ。そんなに人数が集まらないんだろうか、リドルくんの普段の人望を見るに、私なんかに声をかけなくても集まりそうなもんだけど。
「他には誰がいるの?」
「エイブリーと、マルシベールと――」
「アルファードくんは?」
私がそう訊ねると、リドルくんは何とも言えない顔をした。普段の彼からは想像もつかないような、よっぽどアルファードくんのことが苦手なんだろう。傍から見る分には、仲良さそうに見えるけどな、二人。
「まだ誘ってない」
「そう」
リドルくんは顎に手を当てて、少し考えこむような動作をした。私もだんだん眠くなってきて、膝に乗せていた開きっぱなしの本を閉じた。
「アルファードがいれば入ってくれる?」
「別にそういう問題じゃなくて!」
単純に疑問に思ったから聞いただけなんですが、ダメでしたか、そうですか。
消灯時間の過ぎた誰もいないはずの談話室に、軽快な声が響いた。
「僕のこと呼んだ?」
「呼んでない!」
リドルくんが後ろを振り返って叫んだ。男子寮のほうから、アルファードくんがひらひらと手を振っている。
「えーいいじゃん、なになに楽しいこと?」
楽しげにそう言って、当然のように私の隣に座る。あの、向こうのソファも空いてるんですけど。わざわざここに座ります? そうですか。
「錬金術の授業を受けないか、って誘っただけだ」
「なんか人数が集まらないとダメらしいの」
私が付け加えたけど、もしかして余計なこと言っちゃった? リドルくんが横目で私を睨んだような気がした、気のせい、かもだけど。
「ロジエールちゃんが入るなら僕も入ろうかな!」
「え、いや私は……」
「いいじゃん入ろうよ~」
「わ、わかりました」
そこまで言うならしょうがない。リドルくんの頼みならともかくとして、アルファードくんが言うならいいかな、って思う。彼は分家とはいえブラック家だし、それに一人くらいこういう人がいたらきっと授業も楽しく感じるはずだ。
「じゃあこの名簿にサインして」
リドルくんはさっと名簿と羽ペンを取り出した。もしかして準備してたの……なんか色々とすごいな。
私たちが名前を書くと、満足そうに微笑んで男子寮のほうに消えていった。リドルくんはエイブリーたちと一緒に行動して、いつも忙しそうにしている。
孤児院出身のくせに何を企んでいるんだか、と陰で馬鹿にされていることを私は知っている。
「もしババアがいたら混血と仲良くすんなってキレてたな」
「そんなこと……」
ない、とは言いきれなかった。卒業してしまったけれど、ヴァルヴルガさんは過激な思想をお持ちのようだった。
アルファードくんが実のお姉さまのことをババアと呼んでいるのは一部の人間の前でだけだ。最近まで私も、こんな言葉を使う人だとは思わなかった。だからリドルくんも、アルファードくんの言うように実は隠してる一面があるのかも、なんて考えすぎだよね。
「リドルくんはどうして錬金術の授業を受けたいんでしょう……?」
そこまでして受けたい授業なんだろうか。リドルくんはホグワーツが始まって以降の秀才と言われているし、何を考えているのか凡人の私がわかるはずもない。
「さぁ。でも昔、ニコラス・フラメルに興味があるみたいなこと言ってたな」
「それっていつのこと?」
「だいぶ前だよ。二年生とか、三年生とか、その辺」
アルファードくんは関心がなさそうにそう答えた。そして、正面の暖炉の火を見たまま口を動かす。
「もしかしてまだ落ち込んでるの、あのこと」
マートルさんがトイレで死んでた、というのだ。兆候はあった、マグル生まれの学生が何人も石にされた。去年はそんな事件ばかりで、学校中の雰囲気が暗かった。
「あれは悲しい事故だったって、わかるけど……」
毒蜘蛛に襲われたんだっけ。怖いよね、そんなの。リドルくんが違法飼育をしていた下級生を捕まえたから事態は収束した。
でもその前に起きた石化事件はどうして起きたんだろう、毒蜘蛛にそんな能力ないよね。
「何話してんだよ」
「シグナスくん!」
考え事をしていたせいで、気配に全く気づくことができなかった。隣に座るアルファードくんは、やぁって感じで後ろのシグナスくんに手を挙げて挨拶をしているけれど、私は驚きすぎてそれどころじゃなかった。
突然現れたシグナスくんは、いつの間にか隣に座って――このソファ三人は厳しいと思うんですけどいかがでしょうか――私の顔を覗き込んだ。
「いい加減俺とデートしてもいーだろ」
近い近い。顔が近いってば、いい加減眼鏡をかけろよ。暖炉の炎はそんなに遠いはずじゃないのに、パチパチと木が燃える音は遠くに聞こえた。反対に、私の心臓は近くでドキドキしている。びっくりしたんですよ、これは。
「しーぐーなーすくーん、僕もいるんですけど!」
「見えなかったわ」
棘がある言い方。邪魔だよ、と言わんばかりに手を振った。目を細めて、睨んでいるのかもしれない。本当に視力が悪すぎてアルファードくんのことが見えなかったのかも。
「なぁ、俺ここ数ヶ月マジで罰則0だし、そろそろいいだろ」
どうして私にそんなに構うんだろう。
「焦る男はモテないぞ~」
アルファードくんが茶化す。シグナスくんはその鋭い視線でギロリと睨んだ。
「うるせぇ! 死ね!」
大きな音がした。またシグナスくんが椅子を蹴った。持って投げなかっただけでも、彼としては譲歩したほうなんだろう。だけど私は許さない。だって下品で、まるで教養がない人間みたいだから。
「椅子を蹴らないで!」
低くて、ドスの効いた声が出てしまった。
はわわ~そんなつもりなかったのに。アルファードくんもシグナスくんもきょとんとした顔でこっちを見ている。
「あ、すみません。つい、びっくりして」
「おもしれー女」
だから顔が近いってば。